シュヴァイツァー1 信仰義認論への挑戦(1)

※Albert Schweitzer(1875~1965)、プロテスタントの神学者、哲学者、音楽家、医者。黒人の医療に生涯をささげ、ノーベル平和賞をうける。彼の神学は独創的で新約学に多大な影響を与えた。

 

アルベルト・シュヴァイツァーは1875年1月14日、当時のドイツ領(現フランス領)上エルザス州のカイザースブルクに牧師の子として生まれた。父は5才のとき、ピアノを弾くことを教えはじめ、8才の時からパイプオルガンを習わせた。彼は両親の慈愛のもとで、幸せな幼年時代をすごした。しかし不幸な人の姿を見たとき、自分だけが幸福であることに疑問を感じていた。

21才(聖霊降誕祭)のとき、「私は、30歳までは、学問と芸術のために生きよう。それからは、直接、人類に奉仕する道を進もう」と決意する。実際シュヴァイツァーは、イエスに倣い、30歳まで自己形成して、それ以後、人類への奉仕活動に専念しながら、同時に人類を救済する神学を考究していくのである。

 

「聖餐問題」

彼は1893年シュトラースブルク大学に入学する。そこで神学科と哲学科を同時に聴講した。1897年には最初の神学試験を受け、次のように述べている。

「1897年夏の末、私は最初の神学試験に申し出た。いわゆる「テーゼ」として課せられたのは「新約聖書および宗教改革の告白文献の解釈と比較したる、シュライエルマッヘルの最後聖餐説」というのであった。この命題はすべての受験者に課せられ、八週間のうちに作成さるべきもので、その結果によって本試験受験資格が決まるのであった。この課題によって、私はふたたび、福音書とイエス伝の問題に立ちもどらざるを得なかった。この試験問題によって課された、あらゆる歴史的および教義的の最後聖餐解釈の研究の結果、私には痛感させられた」という。どういうことを痛感したのかということに関して次のように述べている。

「―まこと、イエスがその使徒と共にせる晩餐の意義と、原始キリスト教の晩餐礼の起原、についての普通の説明は不十分きわまるものである。」(著作集2、「わが生活と思想」、白水社、25頁)と既存神学の解釈に対する疑念を吐露しているのである。

 

そして「マタイ伝およびマルコ伝の聖餐についての記述にしたがえば、イエスは使徒に、晩餐をくりかえせとは要求していない。それゆえこの儀礼が原始キリスト教団体でくりかえされたのは、使徒たちに由来するもので、イエスに由来するものではない。」(選集2、「わが生活と思想」、21~22頁)と言うに至り、聖餐問題について「古代キリスト教の儀式である、とする説はまったくなりたたない」(同上、41頁)と断言するのである。

 



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