ルターと福音主義(2)

(二)「宗教改革の原理の確立」(霊と肉の葛藤の末)

 

次に、ルターの神学思想(信仰義認論)の形成過程について論述する。

 

(1)「内面の葛藤」

 

ルターは、当初、エルフルト大学で法学を勉強していた。1505年7月、帰省していたマンスフェルトの自宅からエルフルトにもどる道の途中で「雷雨の体験」をする。その時、驚いて「聖アンナさま、お助けください。私は修道僧になります」(ルター著『卓上語録』)と叫んだ。

その後、親しい友人と決別して、7月17日、ルターはエルフルトのアウグスティヌス派修道院にはいった。

この修道院の戒律は厳しいことで有名であった。そこでの厳しい生活ぶりをルターは後に振り返って次のように告白している。

 

「『祈祷、断食、徹夜、耐寒』などによって、拷問の苦しみをなめた」(世界の名著18『ルター』、松田智雄編、中央公論社、18頁)

 

まさに、律法の「行い」に厳格なパウロが自身を称して「パリサイ派の中のパリサイ派」と言ったごとく、ルターも彼に劣らず厳しい「業」の実践を自己に負わせ、その修道生活は壮絶なものであった。

 

「私が敬虔な修道士であり、修道院の戒律を厳格に守ったことは本当である。およそ修道生活によって天国に入れる修道士があったならば、私も天国へゆけると思う。私を知った修道院の兄弟たちはだれでも、このことを証言してくれるだろう。」(『ルターと宗教改革』、成瀬治著、誠文堂新光社、69頁)

 

このように苦行したのは、カトリック教会の教えに従い、ルターが「業」(行い)によって神の義と救いを得て、魂の平安を勝ち取ることが出来ると信じていたからに他ならない。

 

(2)「予定の恐怖」

 

この時代(修道生活)のルターの内面の分析がある。それは、救いと予定に関するすさまじい内容である。

 

「神は神聖であり、完全に正義であるという。もしそうだとすれば、その神は、『わが命ずるところを行なえ』と人間に要求し、行なえなければこれを審判し罰する神である。彼はこの脅かす神への恐怖から逃れるために、修道の生活にはげんで完全になろうとし、また罰を免れようとしたのである。ところが、とぎすまされてゆく良心は、いよいよ彼を責め、神はいよいよ恐怖すべき神として映じたのであった。その悩みの時は長くつづいている。」(『ルター』、松田智雄編、中央公論社、18頁)

 

キリスト者が「完全」になるのは〝再臨の時〟であるが、その時でないのに「完全」になろうとしたルターの苦悩は、救われるか、救われないか、永遠の生命か、永遠の死か、という人生の栄枯盛衰が神の絶対的な「予定」によるという教義に触れると、一層深刻なものとなるのである。

 

罪を告白し、司祭によって赦免しゃめんされても、罪の意識は消えない。次の文章はそういうルターの絶望の心境を語っている。

 

「告解や赦罪しゃざいもなんら救いを保証しない幻覚であって、それは光が闇を駆逐くちくするように罪を駆逐してはくれないので罪は人間にとってどこまでも恐るべき、不断に活動する実在であり続ける。彼の過敏な良心の呵責は、いまや矛盾する苛酷かこくな要求をもって迫る神に対する懐疑と不安とに結びついていた。

このような彼の内面的挫折は『予定』の問題にぶつかりいよいよ深刻となった。神が永遠に滅びに定めたものたちにみずからも属するのではないかという予定の恐怖はルターにとって神に対する呪詛じゅそと憎悪にまで高じるのであった。すなわち自己の行為が自己追求によって毒されている罪人に善行を求めるのは無理である。不可能を要求して滅びに定めようとするさばきの神、報復の神はいかにしても許せない。『この思いにとらわれて、わたしはキリストと神とのなんであるかをまったく忘れ去り、神が悪者ではないかとさえ思う。予定ということを考えると我々は神を忘れ、讃美は止み、誹謗ひぼうが始まる』と苦衷くちゅう吐露とろする彼であった。」(人類の知的遺産26『ルター』、今井晋著、講談社、74-75頁)

神は、律法で裁き、福音でも裁く。この「神の義」を、ルターは憎むまでに至ったのである。

 

(3)「十字架の救い」

 

ルターは、長い苦悩の後に「塔の体験」を通して救いへの確かな希望を見出す。

それは、先に指摘した「神の義」に対する執拗な懐疑を超克するものであり、ヴィッテンベルクの「塔の一室」での出来事であった。それは、救いは「行い」によるのではなく、キリストを信じる「信仰」によって義とされるという「新しい義」の発見であった。その時のルターの心境の変化に関して、次のように述べられている。

 

「要するに『神の義』とは罪人をあくまでも罰し審く神の性質としての『能動的義』を意味するのでなく、無償の贈物として罪人に与えられる義、罪人を罪あるままに義とする恵みとしての『受動的義』であるとの神の義に対する認識の転換がはかられた。……つぐないのわざではかちとることが不確かな、それゆえに、ルターにとって憎しみといきどおりとつぶやきの対象でしかなかった『神の義』が、パウロを導師として、パウロの聖句を媒介に、いまや賜物としての義、最愛の対象となる『神の義』に変貌へんぼうしたのである。久しく求めて悩み続けた『救いの確かさ』の根拠が我々の外、神の内に発見された。それはまた、ルターにとってまさに天国の門を意味したのである。」(『ルター』、今井晋著、講談社、83頁)

 

このように「能動的義」から「受動的義」(新たな義の理解)へと発想の転換がなされ、宗教改革の基本的原理が確立されていくのである。

 

ルターと同様に、生・死をかけて祈祷、断食、徹夜などの苦行をし、善い業に励んだ人や、あるいは霊と肉の分離による対立や葛藤を内的に体験し、罪と戦った信仰者であればあるほど、「信仰によって義とされる」(他力、自分の外)という神の言葉にふれる時、深く霊的に感動させられるにちがいない。

求めもせず、祈りもせず、探しもしない者に、ただ信じるというだけで、そのような霊的な恵みの感動を得ることはないであろう。このルターの心境の変化による「新しい義」の発見の喜びは、新約時代の「イエス・キリストの路程」(個人路程)と成約時代の「家庭路程」を、再臨主と共に世界的に歩む統一教会の信徒らこそが、一番よく理解し得るのではないだろうか。

 

現在から原理的に見て言えることであるが、救いには、初臨の霊的救いから、再臨の霊・肉完全な救い(完全な神の愛の認識)への道がある。

しかしルターの教説は、初臨の霊的救のみであり、再臨による完全な救いは欠けているように思われる。

 

(4)「自力の限界」

 

ところで、ルターが苦悩したのはオッカム主義に従って、キリストを抜きに、自分の内に、自分の力で、罪を克服しようとしたからに他ならない。この点に関して、次のように述べられている。

 

「彼はオッカム主義の修道の精神を厳守し、善いわざに励んでも、内心の平和と良心の慰めが得られず、自己の罪に絶望する。『ああ、私の罪、罪、罪』と彼は絶叫する。かかる絶え間のない罪の意識はオッカム主義によれば、義認の段階にいまだ達していないしるしであり、かかる罪は克服されなければならないと説かれていた。しかし、彼はこのとき人間を裁く『神の義(正義)』は実は信仰によって神から授与される『神の受動的義』であることを発見したのである。これが『神の義』の新しい認識であって、彼の神学の出発点がここに確立された。」(『宗教改革の精神』、金子晴勇著、中公新書、16頁)

 

絶え間のない罪の意識は、信仰者であればあるほどルターと同様に鮮明となる。

だが、それは原罪ゆえに自分の力で克服し得ないものなのである。「キリストの啓示」(恩恵)は行いを必要としない。このことをルターは気付かされたのである。

修道院において、「ああ、私の罪、罪、罪」と苦悶したルターは、個人的な罪や先祖の罪ではなく、もっと根源的な人間存在それ自体の罪を意識していたのではなかろうか。修道院での師である聴罪司祭シュタウピッツに告白しても消えない罪、それは再臨のメシヤによらなければ清算できない罪(原罪)に他ならない。

 

ちなみに、ルターは、「どうして神は、アダムが堕落するのを許したもうたのか。また、神は彼を堕落せぬように保つか、あるいは私たちをほかのすえからか、または清められた第一の裔から造ることができたもうたであろうに、どうして私たちすべてを同一の罪にけがされたものとして造りたもうたのであるか」(『ルター』松田智雄編、中央公論社、223頁)と述べている。

そして、「神秘を探ることは、私たちのなすべきことではない。むしろ、この神秘を畏敬いけいすべきなのである」(同)と言うのである。しかし、再臨主の理性は、この神秘を解かねばならないのである。

 

ところで、十字架による霊的救い、恵みによる信仰義認に関して原理的に言えば、初臨の霊的救いとは、霊的解放圏、すなわち「サタンの支配権」(罪と死と恐怖の地獄)から信仰者を霊的に救い、天国の待合所(再臨を待つパラダイス)へ、信仰者を導く恩恵のことである。

この信仰の道は「個人路程」である。さらに、イエスの再臨による霊肉完全な救い、すなわち神が完全であるように完全な者となる「家庭路程」(愛の完成者になる道)があるのである(マタイ5・48)。愛は人(隣人)を害さない。したがって、イエス・キリストのごとく愛は律法の完成である。

 

以上のように、宗教改革の基本的原理を「心と体の長い葛藤」の末に、ルターは確立するに至ったのである。

このルターの義認論は、パウロの研究(ウィッテンベルク大学でローマ書の講義中の数年間)のうちに、激しい精神的苦闘のあとで獲得されたのである。

その意義は、キリストによる救いをあいまいにする介入を一切認めない、ルターの基本的な姿勢であり、原始キリスト教の信仰を回復しようとするところにあった。

 

 

「原理的批評」

 

宗教改革の起こった要因について、『原理講論』は次のように述べている。

 

「人間は、自由意志によって自分の責任分担を完遂し、神と一体となって個性を完成することにより、人格の絶対的な自主性をもつように創造された。」(『原理講論』515頁)

「元来、信仰は、各自が神を探し求めていく道であるので、それは個人と神との間に直接に結ばれる縦的な関係によってなされるのである。」(同、511頁)

しかし、「中世は、封建制度とローマ・カトリックの世俗的な堕落からくる社会環境によぅて、人間の本性が抑圧され、自由な発展を期待することができない時代であった。」(同、511頁)

 

したがって、信仰の自由を拘束する法王と僧侶の干渉と形式的な宗教儀式やその規範を撤廃しようとする革新運動は起こるべくして起こった。この宗教改革は、宗教面における民主主義を実現し、さらに政治の民主主義、経済の民主主義へと具現化していったのである。『原理講論』(第5章メシヤ再降臨準備時代)によると、宗教改革は再臨主を迎える内外の環境復帰の準備であったと述べている。

 



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