Archive for 12月, 2012

シュヴァイツァー9 信仰義認論への挑戦(9)

(2)、死後になってメシヤにされた!

この問題についてシュヴァイツアーは次のように述べている。

「はんたいに、イエスは自分ではみずからをメシヤだとは考えていなかった、と仮定するならば、イエスがいかにして死後になってメシヤにされたのであるか、この事情が説明できなければならないであろう。死後になってメシヤにされたのは、イエスの公的活動によるものでないことだけは確かである―なぜなら、まさにこの公的活動というものが、イエスのメシヤ性とは何の関係もないもないのであるから! ところで、はたしてそうであるとするならば、12弟子にたいするメシヤの秘密の啓示と大祭司のまえの告白はどういうことになるであろうか? これらの場面は史実でない、と説明するのは、まったくの暴挙である。」(『イエス小伝』、99頁)。

 

シュヴァイツァーは『イエス伝研究史』で右の諸問題に関してさらに次のごとく述べている。

「神の国を問題にする聖句と、イエスのメシヤ意識を表明する聖句とは、実際、ともに徹頭徹尾終末論的性格を帯びているのである。」(『イエス伝研究史』(上)、白水社、14頁)。

このように考察した後で、「イエスは、その死後はじめて、イエスのよみがえりを信ずる信奉者たちの信仰にもとづき、信奉者たちにとってのメシヤとなったのである。」(同上、14頁)と述べている。そして「人々は、イエスのメシヤ性をあくまでもイエスの秘密とし、イエスの死後はじめてこの秘密が知らされる、という仕方でしか、処理できなかったのである。」(同上、15頁)と言うのである。

このように「イエスのメシヤ性は、じつにイエスの復活にもとづいていたのであって、地上の活動にもとづくものではなかった」(『イエス小伝』、102頁)と言うのである。

 

ところでシュヴァイツァーは、「イエスの生涯」の研究の動機に関して次のように述べている。

「イエスはかれ自身のメシヤなる尊称を秘密(!)にするように、むしろ強いられてさえいたのはどうしてなのか、これを明らかにする解釈だけである。イエスがメシヤであるということが、なぜイエスにとって秘密であったのか?―これを説明することが、とりもなおさずイエスの生涯を把握することなのである。」(著作集8、『イエス伝』、100頁)。

 

シュヴァイツァーが『イエス伝』を研究する神学的動機は何であったのか。それは先に論じた聖餐論の問題と「何ゆえにイエスは公生涯の終わりに、それも唐突に、十字架に向かっていったのか」という疑問を解明するためであった。われわれは、ここでシュヴァイツァーが提起したこの問題(イエスのメシヤ性の秘密と受難の秘密)を解明している統一原理(『原理講論』)の「メシヤ論」、すなわち「エリヤの再臨と洗礼ヨハネ」(193頁)、そして「イエスが洗礼ヨハネの使命を代理する」(409頁)という箇所を想起する。もちろんこれらの諸問題と関連する神の救済の予定が、人間の責任分担論との関連で、第一、第二、第三と延長していくことをイエスの予型諭として旧約聖書の「モーセ路程」を通して知らなければならない。そうでなければ地上の公的活動(第一次摂理)とイエスのメシヤ性の関係が分からないであろうというのである。神の業は、すでに歴史の中に啓示しておられるのである。

 

*「ヘロデは、イエスは洗礼ヨハネだとばかり思いこんでいた。『わたしが首を切ったあのヨハネが死人のあいだからよみがえってきたのだ。だからあのような力が彼のうちに働いているのである』(マルコ6・14)というのである。」(『イエス小伝』、白水社、177頁)

「ところで実際には、イエスが自分をメシヤであると考えていることを知っていたものは、だれひとりいなかったのである。だからひとびとは洗礼者を預言者と考え、イエスはエリヤではあるまいかと、自問したのである。」(著作集8、『イエス伝』、182頁)。「洗礼者についてイエスがその真価を語った言葉(マタイ11・7~15)の、秘密にみちた最後のいくつかの文章の意味するところを、十分に理解したものはだれひとりいなかった。ただひとりイエスにとってのみ、ヨハネは約束されたエリヤなのであった。」(『イエス伝』、182頁)。

 上記のごとくシュヴァイツァーはイエスを理解するために、イエスの内面を考察し、統一原理のメシヤ論の内容に近い解釈をしているのである。自由主義神学の伝統に立つシュヴァイツァーにとつて、イエスといえども人間学の対象であり、科学的な歴史研究の対象なのである。自由主義神学と対立する福音主義の批判者は、自己の神学的視座から見て、シュヴァイツアーを短絡的に異端と言って排斥する。同様に、彼らは統一原理を異端というのである。

シュヴァイツァー8 信仰義認論への挑戦(8)

(三)『イエス小伝』(イエスの生涯)

シュヴァイツァーは彼の著『イエス小伝』で福音書を研究し、イエスの公生涯について次のような問題点を指摘する。

 

(1)、突然の死の予告

シュヴァイツァーはイエスの「突然の死の予告」について次のように述べている。

「つまり、受難思想があらわれる所までなら、どんなイエス伝でも、一応ついてゆける。しかしちょうどそこで、きまって脈絡がつかなくなってしまうのである。なぜイエスはその時になって突然、どうしても自分が死ななければならない、と考えるのか。またイエスが自分の死は救いをもたらすと考えるのは、どういう意味においてであろうか。従来のイエス伝で、これを明らかにすることに成功しているものは一つもないのである。」(著作集8、『イエス小伝』、97頁)。

このように「突然の死の予告」はなぜかを、誰も解明していないという。そしてシュヴァイツァーは次のような2つの疑問を投げかける。

 

1、公的活動はイエスのメシヤ性と無関係?

2、なぜイエスは自分がメシヤであることを秘密にしたのか?

この二つの問題に関して次のように述べている。

「イエスが本当に自分をメシヤと考えていたとするならば、どうしてイエスは、あたかもメシヤではないかのように行動しているのであろうか? ひいては、イエスのメシヤという尊称と権威ある地位がメシヤの公的活動とまったく無関係であるかに見えることはどのように説明すればよいのであろうか? エルサレムにおけるわずかの日を別にすれば、イエスの公的活動がすでに終わってしまった後になってはじめて、イエスは弟子たちに、自分がだれであるかを打ち明け、さらにその上に、この秘密を厳守するようにかれらに命じているということは、これはどう考えればよいのか? 慎重な心遣いから、あるいは教育的な意図からイエスはこのような態度を余儀なくされた、とするのはすこしも説明になっていない。イエスが弟子たちや群集を教化して自分がメシヤであることを悟らしめようとしたというようなことを、ほんのわずかでも暗示している言葉がはたして共観福音書のどこにあるのであろうか?」(著作集8、『イエス小伝』、98頁)。

「なにゆえにイエスはメシヤ観念に対する自分の解釈をどこまでも沈黙しとおしたのであろうか?」(同上、『イエス小伝』、99頁)。

このようにシュヴァイツァーは、なぜイエスはメシヤであることを秘密にし、沈黙しとおしたのかと問題を提起する。これらの疑問は、統一原理(『原理講論』)の「メシヤ論」ですべて解明されている。シュヴァイツァーは問題提起にとどまっていたが、彼が統一原理を知れば、どれほど喜んだことであろうか。異端と言った人たちを論破したに違いない。

シュヴァイツァー7 信仰義認論への挑戦(7)

「初期キリスト教の発展史」

イエスの死後、神の国は到来せず、終末論的待望の退潮によって、原始キリスト教の教えがいかに変貌し思想的に発展していくかについてシュヴァイツァーは次のように述べている。

「この書物のパウロの教えの叙述によって、私は自分のこれまでの神学的著作にもくろまれた企てをある意味で完結せしめている。すでに学生時代から、私は、初代のキリスト教の思想的発展を、私にとって異議をさしはさむことのできないように思われる前提―すなわちイエスの神の国の教説は全く終末論的なものであり、それを聴いた者たちもまたそのようなものとして理解したのであるという前提―からあきらかにしようという計画をいだいていた。聖餐の歴史的起源の問題、イエスのメシヤ性の秘密と受難の秘密、イエス伝研究およびパウロの教えの解釈の諸過程等についての私の研究は、ことごとく次の二つの問題―イエスの説教の終末論的解釈以外にそれと並んでなおなんらかの他の解釈が入りこむ余地があるかどうか、また、元来は徹頭徹尾終末論的であったクリスチャンの信仰が、ヘレニズム的思考法によってその終末論的思考法がとって代られるにおよんで、どのようになっていったかという問題―をめぐって展開されている。」(著作集10巻、『使徒パウロの神秘主義』(上)、14頁)

 

 シュヴァイツァーは初代のキリスト教の思想的発展に関して、「キリストにある」という「キリスト神秘主義」がキリスト教のヘレニズム化を可能にしたという。

「すなわち―なぜ、イグナティオスやその他の第二世紀の小アジアの神学の代表者たちは、すでに現存していた原始キリスト教の教えをそのまま採用することができなかったか、またどんなふうに彼らはそれをヘレニズム的な教えに考え改めているのであるか―という問いである。それに対する答えは非常に単純であって、彼らは、終末論的待望の退潮によって、全く自然に、その信仰を当時彼らに周知のヘレニズム的諸観念を用いて新しく理解し直そうとするに至った、ということである。このことが可能になったのは、彼らがパウロの『キリストにある』という神秘主義を熟知していたからである。彼らは、このパウロの神秘主義を、もはや彼らにとって理解できないそれの終末論的な論理に代うるにヘレニズム的な論理を以てすることによって、受けいれたのである。このようにして、イエスからパウロを経てイグナティオスにいたる展開がきわめて自然な仕方で説明される。パウロ自身はキリスト教をヘレニズム化した者ではなかった。しかし彼は、『キリストにある』というその終末論的神秘主義によって、キリスト教のヘレニズム化を可能とするような一つの表現様式をキリスト教に与えたのである。」(同上、『使徒パウロの神秘主義』、15~16頁)

 

*なぜ終末論的待望は退潮したのか。なぜイエスはすぐ来るといったのか。この問いに答えなければならない。「終末が幾度かあった」(『原理講論』147頁)。ノアのときも、イエスのときも、イエスの再臨のときも終末である。現代も終末である。イエスがすぐ来るといわれて二千年も経っている。再臨が何時なのか誰も分からない。シュヴァイツァーは文化哲学を説くがこれらについては明確に答えていない。

しかしシュヴァイツァーは次のように述べている点を忘れてはならない。

「近代のプロテスタント・キリスト教は、宗教的な必要からして、神の国とその到来に関する、イエスの告知の中に存在していた終末論的な見解を棄てて、自己流の見解を、あたかもそれが真のイエスの告知であるかのように、なしたのであった。」(著作集8、『終末論の変遷における神の国の理念』、331頁)と。

 現代神学は、終末論的な見解を捨てるだけでなく、再臨も語らない傾向性にある。

シュヴァイツァー6 信仰義認論への挑戦(6)

「終末論的視座からの解釈」

イエスは、後期ユダヤ教の世界終末の期待およびその後現わるべき超自然のメシヤ王国の期待という観念界の中に生きていたとシュヴァイツアーはいう。また、パウロも同じ終末論的世界観の中に生きていたという彼の終末論的視座からの解釈について次に見てみよう。

「パウロの思想圏研究史の結果、1911年に、私はつぎの結論に到達したのであった。すなわち、当時一般に見込ありと考えられていた、非ユダヤ教的な外見をもつ神秘的なパウロの救済教義をギリシャ思想に持って行こう、とする解決法は不可能である、ただ終末説よりする説明のみが可能である、」(選集2、『わが生活と思想』155頁)と。

このようにシュヴァイツァーは、従来の学説であるパウロの非ユダヤ的と見られる神秘主義を、ギリシャ思想からではなく、終末観の思想から解釈したものと捉え直すのである。

 

「ゆえに、『キリストに内在』し『キリストと共に死し共に復活する』という神秘主義の中には、世界終末を期待する緊張した感情があるわけである。メシヤの国ただちに出現すべし、という信仰より出発して、パウロは、―イエスの死と復活とともに、自然より超自然への転化がもはや真実に始まっている、―と確信した。ゆえに、この神秘思想には宇宙の変動ということがその前提となっている。

この『キリストと結合する』ということの意義、を体得することよりして、パウロの実践倫理は生ずる。」(著作集2、『わが生活と思想』、258頁)と。

 

笠井氏は、シュヴァイツァーの神学的視座について次のように述べている。

「シュヴァイツァーの研究は、のちのバルトのような、イエス・キリストを人間となった神として見、信仰的な基準ですべてを主張していこうとする神学とは方法がまったく異なる。この終末論的・歴史的方法においてシュヴァイツァーは、神学といえども徹底的に歴史的・学問的に誠実であり続けねばならないとしたハルナックやトレルチの自由主義神学の伝統を継承しているのである。」(『二十世紀神学の形成者たち』、笠井恵二、17頁)

 

*シュヴァイツアーの神学(歴史的・学問的に誠実な視座)の影響について

パネンベルクは「救済の出来事と歴史」(1959)と言う論文で次のように述べているといわれている。

「歴史はキリスト教神学の最も包括的な地平である。すべての神学的な問いと答えは、ただ歴史という枠の内部にあってはじめてその意味をもつ。神が人類とともに、また人類を通して自らの被造物全体と共有しているこの歴史は、将来へと向かっている。将来は世界に対してはまだ隠されているが、しかしイエス・キリストにおいてすでに啓示されている」。ここに綱領的な明瞭さで示されているように、パネンベルクは、一方では歴史を『実存の歴史性』へと解消するブルトマンやゴーガルテンに対して、他方では受肉を『原歴史』として解釈するバルトに対して真っ向から反対して、イエス・キリストの出来事の『歴史的な性格』を断固主張する。彼によれば、イエス・キリストにおける救済の出来事は、人類史のただ中において実際に生起したのである。したがって、神学は歴史的・批判的研究の及ばない非歴史的領域に逃避してはならない。『歴史としての啓示』を主張するパネンベルクは、ユダヤ黙示録文学の終末論とそこに成立する『普遍史』の観念の中に自らの拠り所を見だす。」(『キリスト論論争史』水垣渉・小高毅 日本キリスト教団出版局、525頁)