シュヴァイツァー7 信仰義認論への挑戦(7)
「初期キリスト教の発展史」
イエスの死後、神の国は到来せず、終末論的待望の退潮によって、原始キリスト教の教えがいかに変貌し思想的に発展していくかについてシュヴァイツァーは次のように述べている。
「この書物のパウロの教えの叙述によって、私は自分のこれまでの神学的著作にもくろまれた企てをある意味で完結せしめている。すでに学生時代から、私は、初代のキリスト教の思想的発展を、私にとって異議をさしはさむことのできないように思われる前提―すなわちイエスの神の国の教説は全く終末論的なものであり、それを聴いた者たちもまたそのようなものとして理解したのであるという前提―からあきらかにしようという計画をいだいていた。聖餐の歴史的起源の問題、イエスのメシヤ性の秘密と受難の秘密、イエス伝研究およびパウロの教えの解釈の諸過程等についての私の研究は、ことごとく次の二つの問題―イエスの説教の終末論的解釈以外にそれと並んでなおなんらかの他の解釈が入りこむ余地があるかどうか、また、元来は徹頭徹尾終末論的であったクリスチャンの信仰が、ヘレニズム的思考法によってその終末論的思考法がとって代られるにおよんで、どのようになっていったかという問題―をめぐって展開されている。」(著作集10巻、『使徒パウロの神秘主義』(上)、14頁)
シュヴァイツァーは初代のキリスト教の思想的発展に関して、「キリストにある」という「キリスト神秘主義」がキリスト教のヘレニズム化を可能にしたという。
「すなわち―なぜ、イグナティオスやその他の第二世紀の小アジアの神学の代表者たちは、すでに現存していた原始キリスト教の教えをそのまま採用することができなかったか、またどんなふうに彼らはそれをヘレニズム的な教えに考え改めているのであるか―という問いである。それに対する答えは非常に単純であって、彼らは、終末論的待望の退潮によって、全く自然に、その信仰を当時彼らに周知のヘレニズム的諸観念を用いて新しく理解し直そうとするに至った、ということである。このことが可能になったのは、彼らがパウロの『キリストにある』という神秘主義を熟知していたからである。彼らは、このパウロの神秘主義を、もはや彼らにとって理解できないそれの終末論的な論理に代うるにヘレニズム的な論理を以てすることによって、受けいれたのである。このようにして、イエスからパウロを経てイグナティオスにいたる展開がきわめて自然な仕方で説明される。パウロ自身はキリスト教をヘレニズム化した者ではなかった。しかし彼は、『キリストにある』というその終末論的神秘主義によって、キリスト教のヘレニズム化を可能とするような一つの表現様式をキリスト教に与えたのである。」(同上、『使徒パウロの神秘主義』、15~16頁)
*なぜ終末論的待望は退潮したのか。なぜイエスはすぐ来るといったのか。この問いに答えなければならない。「終末が幾度かあった」(『原理講論』147頁)。ノアのときも、イエスのときも、イエスの再臨のときも終末である。現代も終末である。イエスがすぐ来るといわれて二千年も経っている。再臨が何時なのか誰も分からない。シュヴァイツァーは文化哲学を説くがこれらについては明確に答えていない。
しかしシュヴァイツァーは次のように述べている点を忘れてはならない。
「近代のプロテスタント・キリスト教は、宗教的な必要からして、神の国とその到来に関する、イエスの告知の中に存在していた終末論的な見解を棄てて、自己流の見解を、あたかもそれが真のイエスの告知であるかのように、なしたのであった。」(著作集8、『終末論の変遷における神の国の理念』、331頁)と。
現代神学は、終末論的な見解を捨てるだけでなく、再臨も語らない傾向性にある。
カテゴリー: シュヴァイツァー「生命への畏敬」