バルト2 キリスト中心主義(一切の人間学的要素の排除)(2)

『ローマ書』(初期バルトの神学思想)

彼は1919年に『ローマ書』を出版する。程なくしてもう一度、まったく新しく書き改める(『ローマ書』第二版、1922年)。この本は各界に大きな衝撃を与えた。バルトは19世紀の人間中心的な近代プロテスタント主義(自由主義神学)、特にその理性による「自然神学」を痛烈に批判し、神学を再び神の言葉から出発させ、啓示の絶対性を主張した。『ローマ書』の基本的命題は、神とは誰か、あるいは何かを、パウロと共に理解しようとするところにある。

この姿勢は、ルター、カルヴァン等の宗教改革者の信仰を回復し、パウロの教えに帰ろうとするところにある。バルトにとって『ローマ書』はパウロの言葉を通して語りかける神の言葉なのである。

 

『ローマ書』でバルトは、「人間と、人間を基礎づける窮極者との間のあの質的な距離が看過され無視される場合には、必ず庶物崇拝が発生する。この庶物崇拝は《鳥や四つ足や虫》の中に、また最後に、否、最初に《滅びる人間の姿》(『人格』や『幼児』や『女性』)の中に、またその人間の精神的かつ物質的な創造物や建造物や表現物(家族や民族や国家や教会や祖国等々)の中に、神を体験し、―そしてあらゆる現世的事物の彼岸に住み給う神を見棄てるのである。かくして神ならぬ神が打ち立てられる。かくして偶像神が打ち立てられる。《それゆえに神は彼らを見棄て給うた。》・・・真の神を忘れるということは、それ自身が既に神を忘れる者に対する神の怒りの発現である(1・18)」(著作集14『ローマ書』、新教出版社、62頁)と述べている。

つまり、私たちが神として説明したものは偶像の一つであると警告しているのである。そして「ナザレのイエスの中にキリストを見出したということは、神の信実を告げる一切の告知がまさにイエスにおいてわれわれと邂逅した」(同上、114頁)と述べ、「イエスが律法と予言者たちとによって証しせられた神の信実を伝える窮極の言葉であり、すべてのほかの言葉を解明してその意味を最も明確に表現している言葉であるということによって、実証せられる」(同上、115頁)と述べている。

バルトは、「パウロはローマ書の中で本当にイエス・キリストのことを語ったのであり、それ以外の何かについて語ったのではない」(著作集14『ローマ書』、新教出版社、13頁)と述べている。

 

当時の歴史的批評主義からすれば、このような『ローマ書』は学問的な釈義などと言えたものではなく、それはバルトの独断論であると思われた。だが、バルトはハルナックに代表される近代神学(自由主義神学)の「歴史的・批評的方法」に対して、それらの学問が聖書の記述の事実性を確定する上で不可欠であることを認めるが、聖書の理解や解明、すなわち釈義そのものではないと真っ向から反論した。

『ローマ書』の解題には、少し意訳したが、次のように論述されている。

「彼が歴史的批評を認めるのは、あくまでも聖書の記述する事実の確定という聖書釈義の予備的段階にすぎないのであり、これが釈義そのものであることを要求するなら、それは拒否されねばならない。聖書をひとつの人間的・歴史的な文書として取り扱う歴史的批評学には、本質的な限界性がある。このようなものは釈義学上の素材に過ぎず、決して聖書の理解や解明と称し得べくもない」(『ローマ書』、解説 656頁 参照)というのである。

これに比べて、「聖書の一語一語を神の言葉とする霊感説は、聖書の人間的文書たる面を無視するという重大な欠陥をもつものの、釈義の真義を捉えている点、バルトはむしろこのほうに一層の親近性を感じる」(同上、参照)と。

 

しかし、彼の釈義的態度は、自由主義神学でも正統主義神学でもない。そのいずれをも排し、同時に、そのいずれをも採る立場であって、「『テキストからザッヘ(Sache)そのものへ』をその釈義学的方法とする」(『ローマ書』、解説、656頁)のである。彼の常用語であるザッヘとは、「外殻であるテキストの言葉ではなくて、そこにある核心的な事実、すなわち言いかえれば、人間の言葉である聖書の証言ではなくて、それが証言するところの神的事実そのもの、という意味である」(同上、解説、656頁)というのである。

バルトの神学はこのザッヘ(Sache 事柄)との関連性において考察せねばならない。すなわちイエス・キリストにおいて和解した神と人間の関係、言い換えると、人間を否定することによって肯定する神と、この神による人間の救いの福音なのである。彼はこのような釈義を『神学的釈義』(われ信ず)と名づけ、これこそはルターやカルヴァンの釈義であるとする。



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