バルト5 キリスト中心主義(一切の人間学的要素の排除)(5)

「告白教会の出発」(「第二次世界大戦」)

1932年、ドイツ総選挙でナチスが第一党となった。33年に、ヒットラーは「帝国教会」(愛国者の集い)を成立させ、それによってナチスの言いなりになる「ドイツ・キリスト者」運動を起こし、民族主義的イデオロギーを教会の形成に適用した。

だがバルトはこれに反対し、バルメンでの改革派会議で「告白教会」の運動を起こした。彼らは「神のほか何ものも神としてはならない」(モーセの第一戒)の旗印の下に団結した。これはドイツ福音主義教会のルター派、合同派、改革派が一緒になって信仰告白する運動となり、1934年5月末の会議で、バルトが起草した宣言が採択された。これが、すなわち「バルメン宣言」であり、キリスト者の精神的な支柱となった(ドイツ教会闘争)。この第一戒の神とは、言うまでもなく、イエス・キリストのみに立つということである。

 

*「ヒトラーがアンチ・クリストであったのは、同時にアンチ・ユダヤだったからである。バルトは『反ユダヤは反キリスト』であり、これは神学的問題であると述べている」(『カール・バルトと現代』E・ブッシュ、109頁)。

*ヒットラーが悪魔的な考えをしている。

「ヒットラーはユダヤ人こそ当然虐殺されるべきであると信じていた。というのは、独裁者は、究極的な権威をもつことを主張するが、ユダヤ人がいるかぎり、独裁者をも審く生ける神を証ししつづけるからである(神が実在することの最善の証明は、ユダヤ人の実在そのものである、とバルトはのべたことがある)。ヒットラーのユダヤ人迫害に、神に対する宣戦布告を読みとった。そしてヒットラーのユダヤ人迫害は、必ず教会の迫害にまで進むことを予告した」(『現代キリスト教神学入門』W.E.ホーダーン、204頁、日本基督教団出版局)。

 

「キリスト教の教理の哲学的ないし人間学的根拠づけと解明といった最後の残滓から神学を解放することによって確立された『キリスト論的集中』というバルト神学の深化は、教会闘争において神学的支柱となったが、その神学的厳密化は、自然神学の拒否であった」(『カール・バルトと現代』ブッシュ教授をむかえて、小川圭治編、97頁)と述べている。

そして「それは単なるドイツ的キリスト者に対する一過性的な、教会政治的なリアクションであったのではなく、DC(ドイツ・キリスト者)の背後に立って現われていたヒトラーとナチズムそのものに対する真の決定的な対決としての政治的態度決定であった」(同上、97頁)のである。

なぜバルトは自然神学を拒否するのであろうか。そのことに関しては後に論述する。

 

*1931年5月1日に彼はドイツ社会民主党に入党した。改めて社会民主党と連携することによってその態度を示した。「『社会主義の理念と世界観に対する信仰告白』としてではなく、『実際的な政治的決断』だと考えた」(『カール・バルトの生涯』E・ブッシュ、新教出版社、309頁)。

 

当時、ドイツの暴君と対決することを余儀なくされたバルト、ボンヘッファー、ブルトマン、ティリッヒ等は、あのナチスの横暴と残虐さの前で、それぞれ自分が最善と信ずる道を選びとって、誠実にキリスト者としての道を生き抜いた(ボンヘッファーはヒットラー暗殺に荷担した罪で獄中で死す)。



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