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バルト1 キリスト中心主義(一切の人間学的要素の排除)(1)

歴史的政治状況と対決

バルトは、スイスの改革派の牧師であった頃、労働運動と社会主義にかかわり、牧師でありながらスイス社会民主党(1915年)に入党する。それで「赤い牧師」と呼ばれたが、その改革派の宗教改革とは、人間の内面の変化だけでなく、社会全体の改革をなそうとするのである。すなわち、「生ける神」はその意志を、彼岸においてではなく、この世界の中で、ただ単にキリスト者や教会を通してだけでなく、無神論者や社会主義者を通しても貫徹される、と捉える信仰である。

 

*バルトは「イエス・キリストは《マルクス主義者》のためにも死に給うたのだが、また《資本主義者》と《帝国主義者》と《ファシスト》のためにも死に給うた」(『カール・バルトの生涯』エーバハルト・ブッシュ、新教出版社、615頁)という。

 

だが近代神学は人間と社会の歪みについて十分な認識を持たず、労使関係という社会問題を解決するには、全く無力であった。

また第一次世界大戦が勃発した時、ドイツでリベラルな神学教師たちも、社会民主主義の指導者たちも戦争イデオロギーに屈伏し、国民戦争推進派へとよろめいて行った。

それでバルトは今まで「ハルナックの弟子」、あるいは「ヘルマンの弟子」といっていたが、その自由主義神学の聖書釈義や教義学の前提が間違っているのではないかと考え始めた。そしてバルトはスイスの宗教社会主義から離れて行った。ただし彼は政党が取り組んでいる問題を捨てて越えようとしたのではなく、それを包含して越え、神からトータルかつラジカルに捉えなおそうとしたのである。

このようにバルト神学は現実との対決の中から形成されていったのである。注①

 

*「バルトは『片手に聖書を、他の手に新聞を持って神学する』ということを、くりかえして語った。バルトの神学は、時代関連的に、状況関連的に読まれ、理解されなければならない」(『カール・バルトと現代』ひとつの出会い―E・ブッシュ教授をむかえて、小林圭治編、新教出版社、100頁)。

 

注①  『バルト』(大木英夫著、講談社、80~98頁 参照)。

「元来、キリスト教は罪人の救いに関わる。キリスト教の本質は、神によって創造された本来の姿(神の似姿)を歪められた人間(罪人)を、神との正しい関係へ回復することである。個人の場合と同様に、社会の歪みが目立つようになれば、当然、歪められた社会を、その本来のあるべき姿(本質)に回復することが、関心の的となるべきである」(『カール・バルト』大島末男著、清水書院、34頁)。

「若いバルトを捉えたもう一つの問題は、社会主義の問題であった。この問題についても、われわれは人の思いを遥かに越える神の摂理を見ることができる」(同上、33頁)。

「真のキリスト者は社会主義者にならなければならない」(『カール・バルトの生涯』エーバーハルト・ブッシュ、新教出版社、120頁)

シュヴァイツァー3 信仰義認論への挑戦(3)

「『キリスト神秘主義』と『思索』」(信仰義認論に対する根源的な批判)

この聖餐問題(パンとぶどう酒)が端緒となって、彼の著『イエス伝研究史』(1906年)に見られるように、18世紀から19世紀にあらわれた近代自由主義神学の『イエス伝』を研究して批判し、さらに『使徒パウロの神秘主義』(1930年)において、「パウロの教義」(「信仰義認論」)を「キリストとの合一」による「キリスト神秘主義」であるという。この新解釈は正統主義神学(福音主義)に対する根源的な批判である。

「数世紀にわたってパウロの宗教の中核と考えられていた、『信仰によって義とせらる』の教えも、実は、原始キリスト教のイエスの贖罪死についての教義を、『キリストとの結合』なる神秘主義の立場から解釈したものにほかならない。」(著作集2、『わが生活と思想』白水社、260頁)と。

 

シュヴァイツアーは「十字架の贖罪」の意義に関して従来の教説を次のごとく批判する。

「イエスは実際、公的活動全体を通じて、神の国は、罪の赦しとして、あるいは倫理的自己完結的共同体として、すでに存在していることを〔はじめから〕前提しているのであるから、イエスの犠牲によって、べつにまったく新しいものがもたらされるわけではないということになる。したがって神の国はそもそもイエスが登場したそのときからすでに存在する、とせられる。しかし、いやしくも贖罪が果たされた以上は、贖罪の死の効果の意義ともいうべきものが要求せられるのである。古代の教義学に対する近代的教義学の弱点もまたこの点に存する。・・・近代的教義学はこの存在の周辺に言葉をならべたてはする。しかしなに一つはっきりとさししめすことはできず、むしろ自分でこしらえた曖昧模糊とした仮説の雲にくるまっているのである。」(著作集8、『イエス小伝』、126頁)。

このように贖罪死の意義についていろいろ論ずるが、いずれも曖昧模糊であり、近代的教義学の弱点もまたこの点に存するというのである。

イエスがメシヤとして降臨した目的は、神の国の実現である。しかし「イエスの犠牲によって、べつにまったく新しいものがもたらされるわけではない」というのである。「神の国はそもそもイエスが登場したそのときからすでに存在する」。それなのに、「なぜイエスは十字架で死んだのか」と問題を提起しているのである。十字架の予定説への批判である。

 

*シュヴァイツアーが指摘した「十字架の贖罪による救いの摂理」に関する真の意義は、文鮮明先生の神学思想である統一原理(第四章メシヤの降臨とその再臨の目的)によって解明されている。

シュヴァイツァー2 信仰義認論への挑戦(2)

シュヴァイツァーは「初期キリスト教の会食礼は、イエスの贖罪死を聖礼としてくりかえしたり、象徴的に具象化したりすることは、まったく別個のものであった。イエスが使徒たちとともにした最後の晩餐を繰りかえすことがこのような意義をあたえたのは、後年になってのことで、カトリックのミサ聖祭と、罪のゆるしの具象化を目的とするプロテスタントの聖餐礼とにおいてである。」(選集2、『わが生活と思想』、41頁)と批判する。

結論として「イエスと使徒たちとにとっての、あの晩餐の意義は、やがて来たるべき神の国において現われるはずの、メシヤの晩餐への待望と関連していたのではあるまいか、という疑問を追究するにいたった」(選集2、『わが生活と思想』、21頁)と述べている。

このようにして、シュヴァイツァーは最後の晩餐の解釈問題が発端となって、この問題はさらに「福音書」と『イエス伝』の問題に立ち戻って考察する必要があると考えるに至ったのである。これが20世紀の神学に大きな影響を与えたシュヴァイツァーの神学研究の動機である。『イエス伝』については『イエス伝研究史』、福音書の研究については『イエス小伝』がある。

 

*聖餐(式)とは、イエス・キリストの最後の晩餐に由来するキリスト教の儀式である。カトリック教会では「聖体拝領」、「聖体の秘跡」と呼ばれ、プロテスタント教会では「聖餐式」と呼ばれている。ただし「主の晩餐」に関しては、いずれの教派においても使われている。

共観福音書によればイエスはパンを取り、「これはわたしのからだである」といい、ワインの入った杯をとり「これがわたしの血である」と言って弟子たちに与えた。この儀式は初期から教団内で行われてきた。キリスト教徒はこの儀式を行うことで、そこにキリストが現存するという信仰を保持してきた。しかし、今日においては、宗派によってやり方や考え方は異なっている。

カトリックは聖餐をサクラメント(秘跡)として行ってきたが、宗教改革以降のプロテスタント教会は秘跡と呼ばず、礼典と言っている。それは神様の救済は「人間の行いによるのではなく、信仰のみによる」(信仰義認)という考え方から、聖餐の執行そのものを救いの要件として考えないためである。ただし、聖餐に何らかの意味を持たせるか、単に象徴的な儀式と考えるかは、プロテスタントの教派によって異なる。その多くは聖餐において神の恵みが人間に伝えられるのではなく、共同体の信仰を示すための儀式であるというのである。

*「聖餐式の意義」

このように、時代や教派によってその捉え方に違いがあったとしても、キリスト教の中で聖餐は常に礼拝儀式の核となるものである。伝統的なカトリックにおいて、聖餐の式は神が計画する人間の罪からの救いの成就となる式であり、イエスの死と復活を思い、そこにイエスの現存を信じるもの、さらには信仰者と神、信仰者同士の絆を確認するものであった。このような中心思想はほとんどの宗派によって共通であるが、先に述べたようにその程度や捉え方によって違いが生じているのである。

例えば、カトリック教会と正教会では伝統的に聖体のサクラメントを七つある秘跡・機密の一つとし、「聖変化」という思想を尊重してきた。聖変化とはパンとワインがミサの中で実際にキリストの体と血に変わるという教義である。それに対して宗教改革期以降、プロテスタント教会ではパンとワインが実際にキリストの体と血に変わることはなく、単なる象徴的な儀式に過ぎないとみなすようになったのである。

*「統一教会の聖酒式」

キリスト教の聖餐式と統一教会の聖酒式との関連およびその意義について、文鮮明師は次のように説明している。

「聖酒式は、イエス様を中心として見ると聖餐式と同じです。聖餐式では、肉と血の代わりにパンを食べ、ぶどう酒を飲みます。これは、私たち人間が堕落したため、イエス様の体を受けることによって、新しい肉体を受肉しなければならないということを意味します。」(『祝福家庭と理想天国』(Ⅰ)、912頁)

このように聖酒式は聖餐式と同じです。「イエス様の体を受けることによって、新しい肉体を受肉しなければならない」と語っておられるので、単なる信仰を示す儀式ではないのである。

次の御言は原罪との関連から、さらに詳細に聖酒式について説明され、「新しい肉体に生まれ変わる式(重生)であると語っておられます。

「聖酒式は何をするものでしょうか。新しい愛を中心として神様の体を自分の体の中に投入させる儀式です。・・・・イエス様が『パンは私の体を象徴するものであり、ぶどう酒は私の血を象徴するものなので、あなた方はそれをもらって食べ、飲まなければならない』と語ったのと同じように、愛を中心として、神様の実体を中心として、新しい血統を受け継いで原罪を洗い清めることができる式です。」(『天聖経』分冊『祝福家庭』74頁)

「堕落によって汚された血統を継承したので、それを転換しなければなりません。これをしなければ原罪を脱げず、原罪を脱がなければ真の子女として祝福を受けられる段階に上がることができません。原理がそのようになっています。堕落によって生じた原罪を脱ぐ血統転換、すなわち血肉を交換する式が聖酒式です。(『祝福家庭と理想天国』(Ⅰ)906~907頁)

「聖酒式は、堕落によって血統的に汚されたサタンの血を抜いてしまうものです。言い換えれば、原罪を抜いてしまう式だというのです。」(同上、907頁)

このようにイエス様が語られた聖餐式の意味は、むしろ文鮮明師の血統から見た原罪論と聖酒式の御言によって明解になると言えるでしょう。

また、文鮮明師は祝福運動について、次のように語っておられる。

「私が主導してきた祝福運動は、単なる結婚儀式ではなく、原罪を清算し、本然の真の血統によって天に接ぎ木する神聖な行事なのです。」(『平和神経』351頁)

このように祝福結婚(聖酒式)は、単なる「統一教会に入籍する式」ではありません。「共同体への信仰を示す儀式」という見解は誤りではないが、野生のオリーブの木から真のオリーブの木に接ぎ木する血統転換という本質面を見ていないといえるでしょう。

以上がキリスト教の聖餐式と統一教会の聖酒式との関連性についての原理的見解である。また聖酒式には原罪清算する以外に文先生の勝利を相続する式や罪に対する恩赦などの意味があります。これが聖酒式が何度もある理由です。

シュヴァイツァー1 信仰義認論への挑戦(1)

※Albert Schweitzer(1875~1965)、プロテスタントの神学者、哲学者、音楽家、医者。黒人の医療に生涯をささげ、ノーベル平和賞をうける。彼の神学は独創的で新約学に多大な影響を与えた。

 

アルベルト・シュヴァイツァーは1875年1月14日、当時のドイツ領(現フランス領)上エルザス州のカイザースブルクに牧師の子として生まれた。父は5才のとき、ピアノを弾くことを教えはじめ、8才の時からパイプオルガンを習わせた。彼は両親の慈愛のもとで、幸せな幼年時代をすごした。しかし不幸な人の姿を見たとき、自分だけが幸福であることに疑問を感じていた。

21才(聖霊降誕祭)のとき、「私は、30歳までは、学問と芸術のために生きよう。それからは、直接、人類に奉仕する道を進もう」と決意する。実際シュヴァイツァーは、イエスに倣い、30歳まで自己形成して、それ以後、人類への奉仕活動に専念しながら、同時に人類を救済する神学を考究していくのである。

 

「聖餐問題」

彼は1893年シュトラースブルク大学に入学する。そこで神学科と哲学科を同時に聴講した。1897年には最初の神学試験を受け、次のように述べている。

「1897年夏の末、私は最初の神学試験に申し出た。いわゆる「テーゼ」として課せられたのは「新約聖書および宗教改革の告白文献の解釈と比較したる、シュライエルマッヘルの最後聖餐説」というのであった。この命題はすべての受験者に課せられ、八週間のうちに作成さるべきもので、その結果によって本試験受験資格が決まるのであった。この課題によって、私はふたたび、福音書とイエス伝の問題に立ちもどらざるを得なかった。この試験問題によって課された、あらゆる歴史的および教義的の最後聖餐解釈の研究の結果、私には痛感させられた」という。どういうことを痛感したのかということに関して次のように述べている。

「―まこと、イエスがその使徒と共にせる晩餐の意義と、原始キリスト教の晩餐礼の起原、についての普通の説明は不十分きわまるものである。」(著作集2、「わが生活と思想」、白水社、25頁)と既存神学の解釈に対する疑念を吐露しているのである。

 

そして「マタイ伝およびマルコ伝の聖餐についての記述にしたがえば、イエスは使徒に、晩餐をくりかえせとは要求していない。それゆえこの儀礼が原始キリスト教団体でくりかえされたのは、使徒たちに由来するもので、イエスに由来するものではない。」(選集2、「わが生活と思想」、21~22頁)と言うに至り、聖餐問題について「古代キリスト教の儀式である、とする説はまったくなりたたない」(同上、41頁)と断言するのである。

 

序2 プロテスタント(新教)とカトリック(旧教)を統一する統一原理

「百家争鳴」

ところで、今日のプロテスタント神学は、聖書に対する解釈の公式的基準がなく、個人主義、主観主義に立ち、百家争鳴の観がある。その流れを大観すれば、根本主義から自由主義、そして新自由主義から新正統主義へと流れ、あるいは一時の逆流、または並存を保ちながら、現代神学に至り、ある者は「神の死」を宣言し、過去の一切の神学思想はその全体が輝きを失って、セキュラリズム(secularism, 世俗主義)に飲み込まれつつあるというのが現状である。

周知のとおり、神認識に対して、大別して二つの観点がある。一つは「人間の側から」、理性による哲学的人間学などによって神を追求する立場であり、他方は「神の側から」、一方的な上からの啓示(恩恵)を主張し、人間的要素や努力(「行い」)などの一切を否定し、神認識は「キリストに対する信仰から」という立場である。

前者には自由主義神学などがあり、後者はルターの宗教改革的信仰の立場であり福音主義と呼ばれているのがそれである。また、前者は自然神学を肯定し、理性で合理的に聖書を解釈しようとする。後者は自然神学を否定し、理性よりも信仰を根拠とする。もちろん双方の折衷主義もある。

これに対して、これらプロテスタント神学の流れと異なるカトリックの正統主義は、人間の側と神の側(啓示)の双方を認める立場であり、その際、人間理性による哲学を否定せず、人間の努力や業を肯定する(功徳思想)。救いは「神の愛と人間の道徳的努力による」(共働説、神人協力説)という立場である。そしてプロテスタントのごとく、自分は救われたと勝手に「思い込むこと」ではないとプロテスタントの信仰を批判する。

もちろん福音主義の中のカール・バルトは反論し、トマス・アクィナスらの自然神学(理性を肯定し、被造物を通して神を知り得る―存在の類比)を否定する。何故なら、神と罪人との交わりがどうして可能であるかと問い、それは不可能であるといい、神と人との絶対的、質的断絶を主張するからである。

すなわち、人間も万物も罪の支配の下にあり、それ故に被造物を探求しても神を知りえないというのである。したがって、神がイエス・キリストを降臨させて自己を啓示し、そのイエス・キリストによってのみ人間は神を知り得るというのである。

その神学は、アリストテレスやプラトンらの哲学の影響による神認識など、キリストを抜きにした人間の側からの一切の探求を否定して、神を知り得るのは神の側、啓示以外にないというのである。

自然神学を肯定するか否定するかの問題は、いまだに決着を見ていない。だが、キリストの理性、完成したアダムの理性による自然神学は肯定せざるを得ない。

また、20世紀の初頭、根本主義と自由主義(近代主義)との間に神学論争がなされた。それは、処女降誕、キリストの体のよみがえり、血による贖い、聖書の無謬性などである。

それで、一般的に自由主義は非合理な「原罪」を否定し、科学的方法論できれいに処理できる信仰を求め、啓示性を否定し、聖書は無謬でないという。そして、人間の問題に対して楽観的で、教育ですべて解決できると見ていたのである。だが、それは間違いであることに気づき、新自由主義は自然神学を手放さないが、啓示神学に耳を傾けようとする姿勢をもつ。

なぜなら、教育や環境の改革だけでは現実を変えることができず、人間の苦悩を現実に則して分析するとき、正統主義の罪に対する考え方が、自由主義の楽観的な見方より現実的であると考えざるを得なかったからである。

しかし、カール・バルトに見られる福音主義、すなわち新正統主義(正統主義の再発見)は、新自由主義の自然神学を徹底的に打ちのめそうとする。福音主義神学とは、ルターに起原をもち、バルトによってよみがえった神学(バルト神学)のことである。

その教説の核心は、アダムの罪(原罪)を背負った本質構造を失った人間(神の像を喪失した人間)は、神を知り得ず、自分で自分を救うことができない存在であるというのである。もし神が何もしなければ、罪と死の支配の下で、人間は地獄において永遠の刑罰を受ける悲惨な運命のまま存在しつづける以外にないという。それゆえ、罪と死からの解放、すなわち救い(神認識)は、人間自身の側ではなく、神の側である上からの一方的な恵み(啓示)以外にないというのである。

人間の5%の責任分担による努力を一切認めない点は問題があるが、霊的救いという観点から見れば、それは一理あるといえよう。

以上のようなプロテスタント神学の信仰義認論に対する救いの教義に対して、カトリックは、福音主義の理論は「仮面を剥げば結局主観主義の粗野な哲学にすぎない」(岩下壮一著『カトリックの信仰』講談社学術文庫、645ページ)と鋭く批判する。

さらに恩寵と自然、信仰と理性、あるいは人間の努力について次のごとく反論する。

「世の聖書主義を高調する者の中に往々人間理智のあらゆる努力を冒瀆視して、カトリックの信条あるいは神学を異教的膠合(こうごう)説として排斥する者あるを見る。彼等にして徹底的に恩寵と自然とを隔離し、神の智と人間の智とを没交渉にし、天啓と理性とを分離せんと欲せば……」(同、105ページ)と、福音主義の一面性の偏向を指摘する。

以上のように、カトリックとプロテスタントの諸神学を統一することは不可能に近いように思われる。だが、神の力と能力は不可能を可能にする。なぜなら、真理は一つ、信仰も一つであるからである。

したがって、われわれは遠からず神の前に人類は一つになり、統一家族になるという希望を決して捨てないのである。

 

「8つの分野のチャンピオン」

文鮮明師は8つの分野のチャンピンである。

1番目、レバレンド・ムーンは、神様を最もよく知るチャンピオンである。

2番目、レバレンド・ムーンは、サタンを最もよく知るチャンピオンである。

3番目、レバレンド・ムーンは、人間を最もよく知るチャンピオンである。

4番目、レバレンド・ムーンは、霊界を最もよく知るチャンピオンである。

5番目、レバレンド・ムーンは、イエス様を最もよく知るチャンピオンである。

6番目、レバレンド・ムーンは、聖書および各宗教の経書の核心内容を最もよく知るチャンピオンである。

7番目、レバレンド・ムーンは、人類歴史を最もよく知るチャンピオンである。

8番目、レバレンド・ムーンは、真の家庭の価値のチャンピオンである。

―『平和神経』平和メッセージ13から

 

3.「再臨のメシヤの思想」による世界平和の実現に向かって

私は、「再臨のメシヤの思想」(統一原理=原理本体論、統一思想)によって、宗教統一、思想統一がなされ、民主主義諸国と共産主義諸国が和解し、世界平和が実現すると確信してやまない。

 

「統一」という言葉について

ここで、指摘しておくべき点は、宗教統一、思想統一という場合、「統一」という言葉に恐れをなす学識者(知識人)がいる点についてである。

統一教会が「統一」を掲げるのは、それを相対的な立場でなく、絶対的な真理による一元化を目指していると見るからである。それは、強制的、全体主義的になされるものではない。

文鮮明師は「統一」という言葉は「神の愛を中心」として、はじめて「統一」する、といえる言葉であると語っておられる。この言葉で、学識者の懸念は一掃されると信じる。

序1 「現代神学思想の概観」 ――再臨のメシヤの思想圏

「洗礼ヨハネ的使命をもった神学」

20世紀前半の激闘期にキリスト教を導いたプロテスタントの神学者として、アルベルト・シュヴァイツァー(1875年~1965年)「生命への畏敬」、エミール・ブルンナー(1889年~1966年)「出会いの神学」、パウル・ティリッヒ(1886年~1965年)「弁証神学」、ルドルフ・カール・ブルトマン(1884年~1976年)「非神話化」(実存論的解釈)、カール・バルト(1886年~1968年)「神の言葉の神学」(キリスト論的集中)、ディートリッヒ・ボンヘッファー(1906年~1945年)「成人した世界」(聖書の諸概念の非宗教的解釈)らの、まず6人を挙げることができる。

その他、重要な組織神学者として、ニーバー兄弟(ラインホルド・ニーバー、リチャード・ニーバー)、ヴォルフハルト・パネンベルク、ユルゲン・モルトマンといった人たちがいる。

これらの神学者に導かれて、今日のプロテスタント・キリスト教が存在する。

彼らの言葉は、決して古いものではなく、現代に生きるわれわれに対しても、なお力を持つ。それらの神学は、メシヤが来る前に「民を主に備える」(ルカ1章17節)ために洗礼ヨハネがエリヤの使命を持って出現したごとく、躓きとなる既存の信仰観にもとづく聖書理解や、既成の観念や概念を打破するために出現したのである。

そして、聖書の使信(ケリュグマ、宣教の言葉)に対する統一的で全体的な新しい解釈(統一原理)を現代人に受容可能なものとするために、全き真理(Ⅰコリント13章10節)の一端に光を照らすためであった。

すなわち、死せるキリスト教を新しく活性化させ、人々の心を神に向けさせるために、それらの神学は現代人の理性の批判に耐えうるものであり、人間の理性を納得せしめるものであるというのである。現代の科学万能主義の時代に、いわば、歴史の転換点に転轍機(てんてつき)として必然的に出現する運命にある神学であったといえよう。

ただし、バルトは神認識において信仰を強調し、理性による神認識に批判的であるが、そのバルトを中心に、バルト対ブルンナー、バルト対ブルトマンといわれるがごとく、各々が鋭く対立し論駁しあったが、全体的、統一的に捉えるなら、それぞれの神学が、真理の実体であるメシヤ(キリスト)に集中し、真理の全体像に対して、いろいろな角度から、その部分を照らす役割分担を担っていたことが分かるのである。

もし、これらの神学者が現れなければ、全き真理がきても、既成の信仰観が妨げとなって、全きものと見なされず、真理の言葉が受容されないかもしれないのである。

しかし、信徒たちがこれらの神学を知ることによって、全きもの(再臨のメシヤ)が証しされ、その言葉が絶対的真理であることを、あらゆる角度から論証されるに至るのである。

 

「誤った偶像」

既存の教義や信仰観に対する考え方は、全き真理ではなく、部分的真理であって、それらを盲信するなら「誤った偶像」となるものである。したがって、それらは、過去のある時代において、必要不可欠な摂理的使命をもった、いわば、時代的に制約された神学思想であると言えるのである(Ⅰコリント13章9~10節)。

それゆえ、時代が移り変わり、再臨の時が満ちたならば、既存の教義や信仰観は、その時代的使命を終え、自然に消滅していくものである。

しかし、旧約の律法が、イエス(全き真理)に対してそうであったごとく、既存の教義は、再臨する「全き真理」に対して反対することも危惧される。メシヤは、律法の否定者(破壊者)ではなく完成者であったが、確かにキリストは状況に応じて、当時のユダヤ教指導者から排斥されたのも事実であった。

「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである」(マタイ5章17~18節)とイエスが語られたごとく、同じ律法と福音の完成者として来られた再臨のメシヤの思想も同じである。

 

「結論」

以上のごとく、「民を主に備える」ために、先に上げた20世紀の神学者たちが洗礼ヨハネ的使命をもって歴史上に出現し、既存の考え方に対して新しい観点や方法で論戦を挑んだのである。否、神によって必然的に押し出され、挑まされたというべきか。全能なる神は、反対者をも摂理の中に包含されて、歴史の目的を成就されるというのである。

神の霊に導かれた彼らの言葉は、既存の古いキリスト教的信仰観を破壊するに十分で、衝撃的で、大胆である。たとえ、それが全き真理に対して「群盲象を評する」部分的なものであったとしても、そうである。

結論として、「全き真理」(再臨のメシヤの思想=統一原理)は、洗礼ヨハネ的使命をもった神学を包含し、古い教えを否定するのではなく、その意図する目的を成就する。

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