バルト9 キリスト中心主義(一切の人間学的要素の排除)(9)
「世界大戦のキリスト論的解釈」
ところで、第二次世界大戦の本質的原因は何であったのか。この問題はいろいろな角度からさまざまに議論されてきたが、「統一原理」のように、歴史を神の摂理(救済史=蕩減復帰歴史、再創造史)として本質的全般的に捉えられていない。世界の出来事をキリスト論的集中によって解釈するバルトですら、世界大戦の原因をキリスト論的に解明していない。
世界大戦を、政治、経済、思想など、外的な要因を見るだけでは、歴史に対する摂理的な意義を把握することができない。統一原理は、「主権を奪われまいとするサタンの最後の発悪」「神の三大祝福の成就」「イエスの三大試練」「神の主権復帰のための世界的な蕩減条件」などが世界大戦の内的な要因であると捉えている。(『原理講論』538頁以下 参照)これは、一口で言えば、見事な「キリスト論的解釈」と言えよう。
このように世界大戦の摂理的な原理的意義を「キリスト論」的に捉えることは再臨のメシヤ以外に不可能であるが、しかしバルトやブルトマンは歴史の本質の一端を見たのである。このことに関して大木英夫氏は次のように述べている。
「第二次大戦は、・・・・日本にも南原繁が見破った田辺元による国家の擬似キリスト化があったとすれば、日本をも含めて根本的には世界史的規模の神学問題であったと言い得るであろう。神学がない日本ではそれを見破ることが容易でなかった。しかしバルトは、ヒットラー政権獲得後ただちに見破った。一九三二年『教会教義学』のペンを置いて、その高みから見たとき、あたかも双眼鏡の焦点が合って敵影がはっきり見えてくるように、ヒットラーの悪魔的な姿が見えてきた。世界で最初にそれを見た」(『バルト』、大木英夫著、講談社、130頁)。
「非神話化を論じるブルトマンは、バルトに興奮した口調で『われわれはこの目でサタンを見た』と言った」(同上、134頁)。
以上のごとく、歴史の出来事の中に神の本質と神の存在を見るバルトは、「歴史の本質」(主権を奪われまいとするサタンの最後の発悪)の一端を見たのである。それはバルトが勝れて歴史的政治的状況の下で、聖書の使信を現代の諸問題の中で理解しようとしたからに他ならない。まさに、バルト神学は聖書が証言している神的事実そのものに迫っていく方法であり、この方法でバルトは二千年の時を超えて語りかける神の声を聞くのである。
それゆえ、バルト神学に対して、バルトの功績は虚無的とか無神論的なものが知的人間の身分証明であるかのような二十世紀のただ中での「神」の再発見にあると言われている。
以上のように、バルトは神を発見したといわれるのは、それはすでに論じてきたごとく、イエス・キリストとして神を対象化し、人間に認識可能なものとする神の啓示によるのである。
*社会倫理学者C・フライが次のように述べている。
「『ティリッヒは、しばしば現代的思想家として賞賛されるが、実際は、はるかに古い思考構造を忠実に守っている。それに反してバルトは、われわれにとっては多くの点で親しみのない、古い用語を用いて、構造的にまったく新しいことを語ろうとした』というのです。バルトに関するフライの主張が正しいと私は考えるのですが、そうだとすれば、われわれはバルト神学を新正統主義だとする誤解を越えて、バルト神学における『構造的に新しいもの』を理解する」(『カール・バルトと現代』、小林圭治編、新教出版社、18頁)
バルト神学の「キリスト論的集中」(キリスト中心主義)は、既存の自由主義や福音主義の観念や概念を破壊する洗礼ヨハネ的側面があるが、同時に統一原理を誤解して敵対する側面もある。
しかし、彼の斬新な教説、すなわち、キリスト中心主義による聖書解釈は、同様に、第一アダム、第二アダム、第三アダムとして、キリスト中心主義的に聖書を解釈する統一原理を、受容可能にする準備段階の神学であったとわれわれは理解することができるのである。
以上のように、社会性、政治性を包摂するバルトの神学活動は、様々な決断と逡巡を経て未完の巨大な著作である「教会教義学」へと成熟していくのである。
*K・バルトの「教会教義学」は、1932年から1962年まで、邦訳は全36巻からなる。それはカルヴァンの「キリスト教綱要」の9倍の量、トマス・アクィナスの「神学大全」のほぼ2倍の量である。