バルト20 キリスト中心主義(一切の人間学的要素の排除)(20)
「補講」(在りし日の日本基督教団の動き)
「カール・バルトと現代」(小川圭治編 新教出版社)
ひとつの出会い― E・ブッシュ教授をむかえて
エーバーハルト・ブッシュの『カール・バルトの生涯』が出版され、好評を以って迎えられた。この機会に、日本基督教団は、著者ブッシュを1989年9月7日から10月4日まで日本に迎えた。そして日本基督教団の要請に応じ、ブッシュ教授は伊豆の天城山荘の研究会をふり出しに、仙台、福岡、大阪、東京などで、研究会、講演会、そしていくつかの教会で説教を行った。このブッシュの滞在一か月の記録が『カール・バルトと現在』(ひとつの出会い―E・ブッシュ教授をむかえて、小川圭治編、新教出版社、1990年8月31日)にまとめられ報告されている。
特に、仙台では教団、日基、改革派、ルター派など教派をこえ、教職も信徒も一つとなって、エキュメニカルに討論がなされたと述べている。次の対論は、仙台における「ブッシュ博士を囲む研修会」の報告の中からその一部を抜粋したものである。
次の参席された諸先生方の発言は、バルト神学の理解を深化させる。
*バルトが少年時代、両親・祖父母・おば・牧師との出会いの中で、多くのものを受けた。また、バルトの自由主義神学からの脱出は、多くの教会的現実の中で、徐々に形成されてきたもので、特に第一次大戦を通し、さらにその後のナチズムとの戦いの中で、弁証神学の基礎が築かれてきた。
特にバルトは、家父長的家庭環境の中で育ち、そのことが彼の神学形成に大きな影響を与えてきたことは否めない。・・・・特に教義学のⅢ/4にある、「男と女」の関係は、つまり男が第一、女が第二という位置は、聖書的に正しいものか。またこれからの新しい社会を形成してゆくのに、男と女に全く同等の相互関係であるべきではないか(A)。
*バルトが男女の平等性と男性の奉仕について言及していることは、十分承知しているが、にもかかわらず、バルトのパウロの釈義(たとえば、コリントI11章)は正しくないのではないか。コリントの特殊な状況で言われていることを、原理にしてしまっていないか。男が第一というバルトの考えでは、女系社会や婦人の首相といったものは理解できなくなりはしないか(B)。
*この問題は、ドイツではホットな問題であるが、日本でも問題にされていることを知ってびっくりしている。・・・・・。
バルトは、教義学の中で「男が第一、女が第二」といっても、彼が女性を抑圧したことは一度もない。隣人関係がなくなったら、人間ではなくなるとさえ言っている。男女の問題でも「共存の中での自由な決定」ということが中心である。バルトが仕残したことといえば、この原則に反するように見える聖句を、どう解釈し、これを関係づけるかということである(ブッシュ)。
*・・・弁証法神学を形成してゆくにあたって、へッぺの『福音主義―改革派教会の教義学』が参考になったという。その正統派的なものから、「何か」を学ぼうとしたと言われるが、その「何か」とは何か。また他の弁証法神学者たちは、正統派から学ぼうとしなかったのか。また教父神学・伝統の摂取において、他の弁証法神学者とどこが違うのか。
またバルト神学の初期と後期との違いは何か。この中でアンセルムスの研究がはたした役割、なぜ『キリスト教教義学草案』から『教会教義学』にかわったのか。よく言われている「弁証法からアナロギアへ」の移行は何か、初期バルトにはアナロギアはなかったのか。また『教会教義学』では、初期の弁証法はどうなったのか(C)。
*自由主義から弁証法神学のバルトに移る時、新カント派哲学がどの程度の意味を持っていたのか。人間の小さな宗教意識という窓から超越者なる神を見ている自由主義から脱する時、その宗教意識を成り立たせていたものが超越的な神であるという時、考え方として理想主義的で新カント派と思想構造が似ていると思う。その点どう考えているか。(D)
*バルト自身の問題意識があって、それを解決するのにアナロギアに達したと思うが、その点についてお聞きしたい(E)。
*弁証法の時代、神自身しか語りえない。人間は、その神を指し示すが、「できない」にとどまっていた。ところが、アンセルムスの研究によって、「神が語りたもうた」、これは人間の側からは基礎づけられない。私たちの側からは待つ以外にない。しかし、それは教会において(すでに)証しされている。教会が信じ、証言している事実、これこそ神学が、神について語る根本的条件である。このことがアンセルムスの「知解を求める信仰」で表現されている。知ることが、すでに信仰において起こっている。つまり、教会において語られ、信じられることを理解するのである。それに基いてさらにまた教会は、あらためて証言し、信じ語ることが問題になってくる。信仰にしたがって問いただすことは、その信じている対象にしたがって考えてゆくことである。教会が信じていることを神学的に認識する、この構造がアナロギアである(ブッシュ)。
*古プロテスタントの伝統から学んだという時、それはどの程度の範囲を指していたのか(F)
*バルトは、もちろん改革派の伝統から来たが、彼は自分なりの存在を確立する。ではその時、なぜ十七世紀に帰っていったのか。また彼はその時代、喜びをもってカトリックとも出会っていた。人間の意識の中には「超越」がある。ここ一七世紀に帰った理由がある。しかし、神は人間の意識の投影ではない。
つまりここには、はっきりしたバルトのフォイエルバッハ批判がある。他の弁証法神学者との対立・違いは、バルトのフォイエルバッハ批判についての明確さがある。
バルトは、正統主義をそのまま受け入れたのではなく、これを解釈しなおし、ただ神を対象としたのでなく、主体の出会いの出来事としたのである(ブッシュ)。
以上は、日本基督教団の諸先生方の真摯な問いの一部である。
カテゴリー: バルト「神の言葉の神学」