Archive for 7月, 2013

ブルトマンの「非神話化」(現代から見た信仰と実存論的解釈学)(2)

ブルトマンによると「福音書は拡大された祭儀聖伝である」と次のように述べている。

 

「宣教が告知するキリストとは史的イエスではなく、信仰と祭儀のキリストである。キリスト宣教の前面に立つのは、それゆえ、信仰において告白され、洗礼と聖餐において信仰者に働く、救済の事実としての、イエス・キリストの死と復活である。つまり、キリスト・ケリュグマとは祭儀聖伝であり、福音書は拡大された祭儀聖伝である」(『共観福音書伝承史Ⅱ』加山宏路訳、新教出版社、274~275頁)。

 

つまりブルトマンによると、「福音書記者は伝承を自由に駆使しながら、完全に信仰という一点からイエス像を構成している」(『聖書の伝承と様式』ブルトマン、クンズィン著、山形孝夫訳、未来社刊、79頁)というのである。

 

このように、共観福音書は史的な関心を持って書かれた伝記書ではないのである。そして宣教の対象であるキリストは、史的なイエスではなく、信仰と礼拝の対象としてのキリストであり、宣教と礼拝に役立てるための「初期キリスト教」(ヘレニズム的キリスト教)の神学の所産であるというのである。

 

以上のように、ブルトマンの「『共観福音伝承史』に使用せられた様式史的方法は、世界の学界に注目せられたが、この研究は、史的イエスの研究にも画期的な帰結を齎らし、明らかに非神話化と実存論的解釈の準備作業をなすもの」(ブルトマン著『キリストと神話』山岡喜久男・小黒薫訳、124頁)と言われている。

 

「福音書はキリスト祭儀とキリスト神話を前提しており、ヘレニズム・キリスト教が創造したものだからである」(『共観福音書伝承史Ⅱ』、加山宏路訳、新教出版社、277頁)。

 

ブルトマンの『共観福音書の研究』(1930年―共観福音書伝承史の縮刷版)より

「福音書記者たちが使用した伝承素材(Traditionsstoff)と彼らの編集上の加筆(redaktionelle Zusatze)との間に区別をつけるということである。このような課題は、主としてヴェルハウゼンによって認識され、K・L・シュミットによって組織的に究明された。……本来の伝承は小さな個々の独立した断片(言葉あるいは短い物語)から成っていること、またそれら個々の断片を大きな文脈へと連結する場所とか時間の指示は、すべて福音書記者の編集操作によるものであることが明瞭になった。彼らは、(こうした操作に必要な)類型的移換法を有し、個々の場面の背景とかイエスの全生涯の枠組みをつくりだすために、いわばかなり限定された演出資料(Regie‐Material)を自由に駆使する。すなわち、『家』、『山』、『海浜』とか、『舟の中』、『旅の途上』、『食事の客』、『シナゴグにおける礼拝』のイエスといった状況がそれである。群衆、敵対者、供の弟子たちの登場なども図式的である。こうした福音書記者たちの編集活動に関して、わたしは『共観伝承の歴史』(Die Geschichte der synoptischen Tradition, 1921, 1957)において総括的に論究したつもりである。」(『聖書の伝承と様式』、ブルトマン、クンズィン著、山形孝夫訳、未来社刊、23~24頁)。

カトリック教会でも1964年に、パウロ六世のもとで教皇庁聖書委員会が、「福音の歴史的真実性に関する指針」を発表し、編集史的方法と様式史的方法を福音書研究に適用することの必要性を公認した。

 

 

(二)ブルトマンの『イエス』(「イエス像は信仰の所産」)

 

ブルトマンは1936年に出版した『イエス』において、「私達はイエスの生涯と人となりに就いて殆ど何も知る事が出来ない」(R・ブルトマン著『イエス』、川端純四郎・八木誠一共訳、未来社刊、12頁)と断定し、福音書の記述から史的イエスを復元することはできず、福音書をとおして得られるのは「ヘレニズム的キリスト教」の中で成立した信仰の所産である「キリスト像」(教団の宣教した一つの像)であると主張し、人々に大きな衝撃を与えた。

 

ブルトマンは『共観福音書伝承史』の縮刷版といわれる『共観福音書の研究』(1930年)の中で、「イエス伝の全体的枠組が、編集上の操作とみなされること、従ってわれわれが詩や造形美術や、あるいは教会的慣習にもとづいて、イエスの生涯の一場面として信じてきた一連の代表的場面は、ことごとく福音書記者の創作として明らかにされる」(『聖書の伝承と様式』、ブルトマン、クンズィン著、山形孝夫訳、未来社刊、26頁)と断定している。

 

実際、ブルトマンが彼の著『イエス』の序論で、人間自身が歴史の一部であり、中立的観察者でありえないというように、福音書の記述がすべて客観的歴史的なものと言えるかどうか、疑問が持たれるのである。

ブルトマンは「ヨハネ福音書」(90年代後半)に関しては、「イエスの宣教の史料としては全然問題にならず……全く顧慮されなかった」(R・ブルトマン著『イエス』、未来社刊、16頁)と言い切る。

 

次の文章はブルトマンの共観福音書に対する批判的分析の結論である。

 

「共観福音書における種々の層の分解は先ず次の事実から出発する。すなわちイエスと最古の教団は、その場をパレスチナに持ちアラム語を語ったのに、これらの福音書はヘレニズム的キリスト教内部でギリシャ語で著されたということである。ゆえに共観福音書の中で、言語上または内容上の理由から、ヘレニズム的キリスト教の中で成立したとしか考えられないものは、イエスの宣教の史料にはならない。しかし批判的分析は、これら三つの福音書の本質的内容が、最古のパレスチナ教団のアラム語伝承からとられたことを示す。……この最古の層に属する言葉が、事実イエスによって語られたものだという保証は勿論ありはしない」(R・ブルトマン著『イエス』、未来社刊、16~17頁)と。

 

最古の層もイエスの言葉である保証がないなら、確かに憂鬱である。しかしブルトマンはヘレニズム的キリスト教の「信仰と神学の所産であるもの」から、一片の伝承に出会うという。そしてその断片の複合体の中に、真のイエスの思想を捉えるのである。そのことに関して次のごとく述べている。

 

「イエスの人となりに関心をもつ人にとっては、憂欝(ゆううつ)もしくは破壊的である。しかし私達の目的にとっては本質的な意味をもたない。なぜなら、伝承のあの最古の層の中にある思想の複合体が私達の叙述の対象だからである。それはさしあたり過去から私達に届いた一片の伝承として私たちに出会う。私達はこれに問いかけながら歴史との出会いを求めるのである。伝承はこの思想の所持者をイエスと名ざしている」(『イエス』17頁)。

 

このように、信仰によって神格化されたイエス像を一掃して、真のイエス・キリストを把握し、イエスの思想を叙述しようとするブルトマンの『イエス』は、福音書を実存論的に解釈したものであると言われている。

 

ブルトマンの「非神話化」( 現代から見た信仰と実存論的解釈学)(1)

ルドルフ・ブルトマン(Rudolf Bultmann, 1884-1976)はドイツのプロテスタントの神学者。文学様式による分類方法と原始キリスト教団の「生活の座」(ジッツ・イム・レーベン)から、新約聖書の資料を分析し、福音書を研究する方法(「様式史的方法」)を確立した創始者の一人。また新約聖書の非神話化を主張し、実存論的解釈を提唱する。

 

(一)ブルトマンの『共観福音書伝承史』(「様式史的方法」)

 

ルドルフ・ブルトマンは、歴史的・批評的神学から出発して『共観福音書伝承史』(1921年)を出版し、すでにヘルマン・グンケル(1862-1932)によって旧約聖書の文学的研究で用いられていた「様式史的方法」を福音書の研究に用い、新約学に画期的な業績を残した。

福音書における様式史的研究方法は、先にM・ディベリウスとK・シュミットが確立していたが、ブルトマンはこれらをさらに深化させて、独自の研究の成果を上げた。

 

様式史的方法とは、記述の重なり合うマルコ、マタイ、ルカの共観福音書を様式によって整理分類し、そのもととなる資料(Q資料)を推定する作業のことである【註①】。現代の福音書研究のほとんどすべては、この様式史的方法を発展させたものである【註②】。

 

その研究の結果、「イエスに関する伝承は種々の異なった『様式』を伴って言い伝えられており、それらの伝承様式の背後に、それらを生み出した伝承の『生活の座』(Sitz im Leben)として原始教団の意図的業が確認される」(『イエス・キリスト』荒井献著、講談社、54頁)と言うのである。

 

すなわち、「はじめに教団(宣教、ケリュグマ)ありき」ということであり、共観福音書(AD68~85年頃成立)は、客観的に歴史的事実を記述したものではなく、初期キリスト教団の信仰の所産であるというのである【註③】。

 

ブルトマン著『共観福音書伝承史』より

「様式史研究が単なる美学的考察でなく、また単に記述と分類の手続きに留まらない、とのDibeliusの主張に、わたしは全面的に同意する。すなわち個々の伝承片を美学的ないしその他の特徴に従って記述したり、分類したりすることが、様式史研究の課題ではないのである。むしろその課題は、それらの伝承片の成立と歴史を再編成することによって、成文化以前の伝承の歴史を解明することにある。このような課題の理解は、ある共同体の――それゆえ、また、原始キリスト教会の――生活の凝縮したものとしての文学が、その共同体のきわめて特定的な生活の表現および必要の中から生まれたということ、そしてそれらは一定の文体(Stil)、様式(Form)、および文学類型(Gattung)を生み出した、という認識に基づいている。特質を異にする様々の祭儀であれ、また労働、狩猟、あるいは戦争であれ、すべての文学類型は固有の〈生活の座〉(Sitz im Leben) (Gunkel)を持つのである。この“生活の座”は個々の歴史的事件ではなく、共同体の生活における典型的な情況ないしその行動様式なのであるが、<類型>ないし<様式>――それによって個々の伝承片は一つの類型へと分類される――も美学的概念ではなく社会学的概念なのである」(『共観福音書伝承史Ⅰ』加山宏路訳、新教出版社、11頁)

 

 

【註①】

「様式史的方法」

 

「問題は、なぜマルコが『福音』を『福音書』の中に、すなわち信仰告白をイエスの生涯全体の中に取り戻そうとしたのか、なぜマタイとルカがマルコのイエス・キリスト像に――Qその他の資料を導入しながら――改変の手を加えたのか、ということである。その結果、当然のことながら、彼らのイエス・キリスト像には多様性が出てくる。にもかかわらず、彼らが伝統をただ形式的に墨守(ぼくしゅ)せず、新しいイエス・キリストを像型したのは、彼らの時代の状況の中でイエス・キリストの意味を主体的・歴史的に問い直そうとしたからにほかならない」(『イエス・キリスト』荒井献著、講談社、492頁)

 

Q資料とは、「現在文章の形で残っているものではなく、マタイ福音書とルカ福音書に共通するイエスの言葉から、その存在が仮定的に推定されているものである」(同上、53頁)。

1945年に発見された『トマスによる福音書』には、「Q資料」と重なるイエスの言葉が多く含まれている。「語録資料」とは、「資料」を意味するドイツ語Quelle(クヴェレ)の頭文字をとって「Q資料」と呼ばれている。

 

「福音書の中でマルコ福音書が最古の時代に著わされ、マタイとルカは……マルコ福音書を資料とし、イエスの言葉についてはマルコ福音書とは別の『語録資料』(Q資料)を資料として、これにマタイとルカにそれぞれ固有な『特殊資料』を加えて、それぞれ福音書を著作した」(同上、53頁)

 

したがって、イエスに関する最古の資料は「マルコ福音書」と「語録資料」(Q資料)の二つである。これを二資料仮説という。

 

「後世のキリスト教思想に影響を与えたのは……ヨハネ福音書と、とりわけパウロあるいはパウロ系の手紙とに表出されたイエス・キリストである」(『イエス・キリスト』荒井献著、講談社、492頁)

 

なぜそう言われるかといえば、イエスの死と復活以後、救いが十字架の死による贖い(十字架贖罪)にあるという教団側の主張を、ヨハネとパウロがより反映しているからである。その点は、例えば、最古のマルコ福音書からマタイ、ルカ、ヨハネと時代が進むに従って、十字架上のイエスの口に新しい言葉を付加し、教団側の主張が正しいという根拠を、それによって得ようとしていることから窺えるからである。

 

マルコ福音書では十字架上のイエスの言葉として、ただ一つだけ、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15・34)と記している。

だが、この言葉は神に見捨てられた絶望の叫びと受け取られ、十字架の予定説の否定として受け取られかねない。それで、ルカとヨハネは、漸次的に、もっとふさわしい言葉をイエスの最後の言葉として、その口に次のように付け加えたのである。

 

ルカは「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23・34)と、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」(同23・46)をイエスの言葉として付加した。

 

また、ヨハネは「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」および「ごらんなさい。これはあなたの母です」(ヨハネ19・26)と、「わたしは、かわく」(同19・28)、そして「すべてが終った」(同19・30)と記し、十字架が予定であり、救いが勝利的に完結したと受け取れる言葉をイエスの口にのせたのである。

このように新しいものほど、より教団側の意図を反映していると見なされるのである。

 

【註②】

「編集史的方法」

 

「編集史的方法」とは、「福音書記者たちが個別伝承を編集していく作業に着眼し、そこから彼らに固有な思想(イエス・キリスト理解)を確定していかなければならない(のであるが)、その際……福音書記者たちが採用した伝承部分(伝承句)と、彼らがそれらに手を加え、それらを結合していった編集部分(編集句)とを区別しなければならない。そして、この編集部分を手掛かりとして福音書記者の思想を分析・再現する方法のことを、我々は『編集史』的方法と呼ぶ」(『イエス・キリスト』荒井献著、講談社、384頁)

 

【註③】

「福音書編纂の歴史的背景」

 

「福音書の著者たちは、わたしたちが歴史について考えるほど、歴史に関心をもっていなかったことを、福音書研究は明らかにする。過去をなんとかして保存しようとの意図はみられない」(『現代キリスト教入門』W・E・ホーダーン著、日本基督教団出版局、272頁)

聖書「正典」の編纂の意図は――「二、三世紀の正統教会がマルキオン派やグノーシス派の『異端』による教会分裂の危機から自らを守るためにとった手段」(『イエス・キリスト』荒井献著、講談社、488頁)に他ならない。

 

マルキオン(100-160年頃)は、「特定の福音書によりながら自己のイエス理解を排他的に主張する人々……その代表的な例がマルキオンとその党派であろう。彼は旧約聖書の『義なる』神を新約の『善なる』神によって止揚し、『律法』を排して『信仰のみ』の立場(いわゆる「パウロ主義」の一形態)を押し出した。そしてその手段として、10通のパウロの手紙(テモテ、テトス、ヘブル書を除く)とパウロ主義の立場から短縮・改竄したルカ福音書とだけを『正典』とし、神の子キリストの肉体性を否定、処女降誕、復活信仰を捨てたのである」(同上、484頁)

 

マルキオンと同様に、グノーシス主義の一派ではイエス・キリストは肉体を持つ存在として降臨したのではないという。初代教会は、これらマルキオンなどの異端と闘わねばならなかった。

 

以上のごとく、統一原理の立場は、キリストの肉体性を否定、処女降誕、復活信仰などに関して、キリスト仮現説を主張するマルキオンのごとく、それらを捨て去ろうとするのではない。また、正統派信仰のように、非科学的にそれらの出来事を盲信することでもない。

 

次に、グノーシス主義についてであるが、グノーシスとは、ギリシア語で「認識」「知識」を意味し、人間は本来的自己(魂)を「認識」することによって救済されると主張する。

また、「旧約聖書の律法を放棄し、マルキオンと同様に、イエスの処女降誕、肉体による復活を否認したのである。グノーシス派がよった聖書は、パウロの手紙とヨハネ福音書、とりわけトマス福音書であった」(同上、484頁)

 

初代教会の最大の危機はこのグノーシスの異端との闘いであった。

正典に関して、――カトリックとプロテスタントは、新約聖書は同数(27)で、配列も同じである。旧約聖書において、プロテスタントは39の書物、カトリックでは46の書物を有する。

カトリックに含まれ、プロテスタントに含まれない7つの書物はカトリックで第二正典といい、プロテスタントは外典と呼んでいる。その7つとは、トビト記、ユディト記、マカバイ記Ⅰ、マカバイ記Ⅱ、知恵の書(ソロモンの知恵)、シラ書(集会の書)、バルク書(エレミヤの手紙を含む)である。ただし、そのほかに、エステル記とダニエル書の補遺を付け加える。

 

ブルトマンの復活信仰の理解について、――ブルトマンにとって「復活節の出来事は、決して史的な出来事ではない」(『ブルトマン』笠井恵二著、清水書院、107頁)

彼にとって、復活説の信仰とは、「宣教の言葉こそが正当な神の言葉であるという信仰である」(同上、107頁)。つまり復活は客観的な出来事ではなく、イエスの語ったことばを信ずるところにあるというのである。換言すると、「この信仰が発生した史的な出来事が初代の弟子たちに対してそうであったように、よみがえった者の自己証言、十字架の救済の出来事をそこで完成せしめる神の行為を意味するのである」(同上、107頁)という。

 

これがブルトマンの復活信仰の理解であり、復活を歴史的出来事と理解しているのではない。これに対してバルトはイエスの肉体の復活を歴史的な客観的な出来事として捉え、それを信ずべき出来事だという。統一原理は復活を歴史的出来事と理解するが霊的な出来事、霊的からだの復活であると解釈する。

 

多様なキリスト像について――「現在、『イエス・キリスト』と言っても、それはきわめて多様である。このことは、同じキリスト教が、ローマ・カトリック教会、コプト(エジプト)・シリアなどの国民正教会、ギリシア(およびロシア)正教会、英国国教会、プロテスタント教会などの諸教派に分かれており、これらの教派においてイエス・キリスト理解(広義のキリスト論)が異なっている事実を見れば明らかである。さらに、諸教派のうちにプロテスタント教会に至っては、その中に無数の分派が存在し、各派がそれぞれ独自のキリスト論を主張する」(『イエス・キリスト』、荒井献著、講談社、483頁)