Archive for 2月, 2013

バルト4 キリスト中心主義(一切の人間学的要素の排除)(4)

「知解を求める信仰」(神認識)

バルトは25年にミュンスター大学、30年にボン大学へ移っていく。31年にはバルト自身が最も愛する『知解を求める信仰――アンセルムスの神の存在証明』を出版する。

「神ハナゼ人間トナラレタカ」(著作集8『知解を求める信仰』、新教出版社、12頁)と問題を提起し、「本質からして、信仰は知解ヲ求メル信仰である」(同上、21頁)という。アンセルムスの定式で言えば、「神学とは、信仰が信じていることを理解しようとする企てである」(『バルト神学入門』E・ブッシュ、新教出版社、70頁)ということである。

言い換えると、「信仰とは、『キリストの言葉』あるいは教会の『信条』(信仰告白)の『知解と肯定』のことだ」(『カール・バルトの生涯』E・ブッシュ、294頁)と定義し、神学に課せられた知解の課題は、「すでに語られ、すでに肯定された信条を追・思考すること」(同上)であるというのである。

 

以上のように、アンセルムス書でバルトは、古典的な神の存在論的証明に対して、神の「啓示の出来事」から「神の存在」と「神の本質」を導き出す方法を樹立する。それまでのバルトは、神は絶対的な行為の主体であって、決して客体的な知識の対象とはなり得なかった。『ローマ書』では、キルケゴールの言葉として次のように語っていた。

「キリストが真の神であるなら、彼は、不可知的でなければならない。直接的可知性はまさに偶像の特徴である」(著作集14『ローマ書』、新教出版社、48頁)。

しかし、新しいバルトは、神はイエス・キリストにおいて自己を対象として人間に認識可能なものとして与えるという立場に移行していくのである。すなわち神認識はキリストを抜きにしてあり得ないというのである。この釈義が、キリスト教を人間学的、哲学的に説明することから解放し、同時に神認識に関する形而上学的枠組みを解体していくことになるのである。そして後に、『教会教義学』として結晶するバルト固有の神学方法論を確立させていくことになるのである。

このようにバルトは教義学において、はじめてキルケゴールを越えて、イエス・キリストを中心に置く道に立ったのである。

 

ところで神が存在するなら、如何にして認識できるのか。またどの程度まで認識できるのか。その神とはいかなるお方なのか、ということについてくり返し教会は弁明しなければならないとバルトは次のようにいう。

「どの程度まで〔どのような事情のもとで〕神は認識されるのか、またどの程度まで神は認識可能であるのか」(『教会教義学』、『神論』Ⅰ/1、神の認識 新教出版社 4頁)と。

バルトによると、キリストを抜きにして神を認識することができない、神を知るには聖書による以外に方法がない、ということである。

人間が罪によって本質構造が歪められている以上、神を正しく知り得ない。神が存在することは、神自身が啓示する以外に知る方法がない、とバルトは次のように述べている。

「ただ神がご自身を〔そこでの〕対象として措定し給う間にだけ、人間は神を認識するものとして措定されている」(同上、『神論』Ⅰ/1、37頁)。

 

人間の宗教的主観の投影が虚像であって、実体がないものであるなら、真の神認識はどのようにして可能なのかという問いをバルトは繰り返し主張する。このことに関して、大木英夫氏は次のように述べている。

「神認識とは、対象化されない神がみずからを対象化することによって、人間の前に立ち、そして人間がそのことによって神の前に立つという対向関係の成立を前提として成り立つものであって、神認識の存在根拠と認識根拠とは、この神の自己対象化の中にある」(『バルト』大木英夫著、講談社、228~229頁)。

 

この神の自己対象化、すなわちイエス・キリストによって、われわれは、そこでのみ、神を認識の対象として知り得るというのである。従って、バルトは神認識において不可知論者ではない。注③

このようにバルトは、人間の理性に根拠をおく古典的な神の存在論的証明を否定し、「啓示」に根拠をおき、古い存在論を解体して、再びそれを構築しようとするのである。

 

以上のように、アンセルムスに取り組んで以後、人間が神を認識し得るための神と人間との対応、つまり類比という概念が、バルト自身の認識方法を特徴づけるものとなったのである(『カール・バルトの生涯』エーバーハルト・ブッシュ、307頁 参照)。

 

*バルトによる神認識とは、人間の側からではない。神の側から、神の呼びかけに対してわれわれの応答を生起させる出来事(「和解」)に基き、初めて神と人間の間に関係が造成されるというのである。それは上よりの一方的な恵みなのである。その関係は「信仰」による関係で造成されるので「信仰ノ類比」あるいは「関係ノ類比」と言われるのである。そして人間の理性の働きが「キリストの出来事」に呼応するとき、神学は学として成立して、神の存在論的証明も可能となるというのである。したがって「信仰が認識に先行する」ということなのである。このように、神認識に関して、啓示(和解)から、神の存在論的証明の具体的可能性が説かれるのである。

注③  バルトは、神についての不可知論者ではい。ヨハネ福音書一四章九節の『わたしを見た者は、父を見たのである』という言葉が示すよう、イエス・キリストにおいて神を認識するのである」(『バルト』大木英夫著、講談社、230頁)。

 

バルト3 キリスト中心主義(一切の人間学的要素の排除)(3)

「弁証法神学」

『ローマ書』出版の二年後、バルトはゲッティンゲン大学に招かれ、神学部で教鞭を執るようになる。そしてこのころ、フリードリヒ・ゴーガルテン(Friedrich Gogarten)、エドゥアルト・トゥールナイゼン(Eduard Thurneysen)らと雑誌『時の間』を刊行し、近代プロテスタント主義に対する抗議をし、時代に警鐘を鳴らす。

そこにルドルフ・ブルトマン(Rudolf Bultmann)、エーミル・ブルンナー(Emil Brunner)らも参加し、これが「弁証法神学」と呼ばれる一つの大きな潮流となっていくのである(注②)。

「弁証法神学」というのは、これらの人々がキルケゴールの影響の下に、「時間と永遠」との無限の質的な断絶を強調したことによる。「この神学はそれ以前の神学的方向づけ、すなわち、リベラルな神学にもそれに反対する保守的な神学にも、対立した。『弁証法神学』という名称は解消不可能な対立関係において思考する彼らの思惟のスタイルに由来する」(『バルト神学入門』、エーバハルト・ブッシュ、新教出版社、15頁)。

またこの流れは「危機の神学」とも呼ばれた。それは有限で罪深い人間にとって、超越的かつ神聖なる神が「危機」であり、審判者であるからである。

バルトは近代神学について「ただ人間の精神や心や良心や内面性だけを問題にする人は、本当に神を問題にしているのか、人間の神化を問題にしているのではないか」(著作集4、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』、153頁)と批判する。そして神学はずっと以前から人間学になってしまっていると言うのである。

 

*近代合理主義はキリスト教と科学的合理性との調和を目指す理神論を生み出し、批判精神と実証的な歴史研究にもとづく自由主義神学は、聖書や教会の歴史的批評的研究を進めていった。またそこから「史的イエス」の研究も進展していく。このようなプロテスタント教会に対して、カトリック教会は二十世紀に至るまで反近代主義をつらぬき伝統主義を強化した。

*「一九世紀の神学の根底を批判的に綿密に精査すると共に、教理自体の基盤に基づいて、また、教理それ自体の内的で客観的な論理により、キリスト教の根本的な教理を実証的に再考察することであった・・・彼が攻撃しなければならなかった神学は、哲学と文学と音楽、そして輝かしいヨーロッパ文化のあらゆる精神科学における、現在ヨーロッパの最大の知的業績に関する思考と見解とに、からみついていたからである。したがって彼は、あら探しの断片的批判によってではなく、根本的アプローチによって、そのすべてと格闘しなければならなかった」(『バルト初期神学の展開』T.F.トーランス 新教出版社、75頁)。

 

「フォイエルバッハ論」

周知のように、フォイエルバッハは「神の本質とは人間の本質である」(「キリスト教の本質」1841年)と批判し、「人間の本質」を肯定するために、神学と宗教の幻想的投影を否定した。バルトはこの転倒した命題は、シュライエルマッハーやリッチュルやヘルマンおよびその時代の人々に対する帰結であるといい、「神と人間を同一視する神学」をやめない限り、「フォイエルバッハを批判する理由は、われわれにはない」(著作集4、158頁)という。そしてフォイエルバッハの学説に対して次のように反撃した。

「もしフォイエルバッハが、われわれ人間は頭から足の裏まで悪い者だということを知っている者であり、われわれは死ななければならないということを思う者であれば、神の本質は人間の本質だなどということが、あらゆる幻想中最も幻想的な幻想だということを認識したであろう」(同上、著作集4、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』、新教出版社、157頁)。

そしてバルトは、「神との関係が転倒不可能なものだという事実が、われわれにとって絶対的・徹底的に確立されないかぎりは、この点について沈着に達することはないであろう」(同上、151頁)と述べている。このようにバルト神学は、近代世俗主義の持つ無神論と根本的に対決したのである。

そしてこのような「無神論」を生み出した「有神論」とバルトは対決したのである。

このことに関してエーバハルト・ブッシュは、「カール・バルトの現代的意義」と題する講演で、次のように述べている。

「無神論的世俗主義との対決を決定的に遂行するためには、無神論があの帰結を引き出した有神論の前提そのものとの対決という形をとらなければならないというのです。なぜなら、バルトにとっては、事実このような前提―すなわち絶対者としての神、人間に対抗する抽象的な対立概念(Gegenbegriff)としての神―は、神がまったく存在しない場合よりはるかに大きな害悪なのです」(『カール・バルトと現代』ひとつの出会い―E・ブッシュ教授をむかえて、新教出版社19頁)。

 

さらに、有神論の神観念は神と無関係であり、それによって「人間は神を見失うだけではなく、同時に自分自身をも見失う」(同上、20頁)と述べている。

 

つまり「神は本来他者であり、まさに絶対的存在であることを承認したとしても、いずれの場合にも、神はまさに『人間が立ち現れる余地のない高み』だと考えられているのです」(同上、19頁)というのである。そしてこのような既存神学の絶対者という観念は「堕罪した人間の産物」であるといい、イエス・キリストと出会う神こそ「真の神」であると次のように述べている。

 

「人間が天に投影したものは、L・フォイエルバッハが考えたように、人間の真の本質ではなく」(同上20頁)「自己自身だけで生き、自己自身であろうと欲する絶対的存在の観念の全体は、それ自体、人間がそれによって神からだけでなく、人間自身から疎外される堕罪の人間の基本的産物なのです」(同上、20頁)。「有神論も無神論も、同じ害悪のもとに苦しんでいるのであり、共にそこから救出されるべきなのです。ここで私は、聖書によってイエス・キリストにおいてわれわれに出会い給う真の神のみが人類を神と自己自身からの疎外から解放し給うというバルト神学の基礎事実に背後から接近しているのです」(同上、20頁)。

 

以上のように、バルトは無神論を生み出した有神論を厳しく批判する。既存神学の絶対者という観念は、神からだけでなく、人間自身からも疎外された「堕罪した人間の産物である」と述べ、有神論の神観念は神と無関係であり、それによって「人間は神を見失うだけでなく、同時に自分自身を見失う」というのである。その結果、「有神論も無神論も同じ害悪のもとに苦しんでいるのであり、共にそこから救出されるべきなのである」と述べ、

イエス・キリストと出会う神こそ「真の神である」というのである。すなわち神認識はキリストを抜きにしてあり得ないというのである。

そして、このような認識の下で、バルトによる神認識は、神の側から和解に基づく「信仰の類比」へと発展していくのである。

 

*「真の神」、「完全な神認識」は再臨のメシヤを抜きにしてあり得ない。

*「わたしたちの知るところは一部分であり、予言するところも一部分にすぎない。全きものが来るときには、部分的なものはすたれる。」(コリントⅠ、13・9~10)

 

注②  『二十世紀神学の形成者たち』(笠井恵二著、新教出版社、57頁)。

バルト2 キリスト中心主義(一切の人間学的要素の排除)(2)

『ローマ書』(初期バルトの神学思想)

彼は1919年に『ローマ書』を出版する。程なくしてもう一度、まったく新しく書き改める(『ローマ書』第二版、1922年)。この本は各界に大きな衝撃を与えた。バルトは19世紀の人間中心的な近代プロテスタント主義(自由主義神学)、特にその理性による「自然神学」を痛烈に批判し、神学を再び神の言葉から出発させ、啓示の絶対性を主張した。『ローマ書』の基本的命題は、神とは誰か、あるいは何かを、パウロと共に理解しようとするところにある。

この姿勢は、ルター、カルヴァン等の宗教改革者の信仰を回復し、パウロの教えに帰ろうとするところにある。バルトにとって『ローマ書』はパウロの言葉を通して語りかける神の言葉なのである。

 

『ローマ書』でバルトは、「人間と、人間を基礎づける窮極者との間のあの質的な距離が看過され無視される場合には、必ず庶物崇拝が発生する。この庶物崇拝は《鳥や四つ足や虫》の中に、また最後に、否、最初に《滅びる人間の姿》(『人格』や『幼児』や『女性』)の中に、またその人間の精神的かつ物質的な創造物や建造物や表現物(家族や民族や国家や教会や祖国等々)の中に、神を体験し、―そしてあらゆる現世的事物の彼岸に住み給う神を見棄てるのである。かくして神ならぬ神が打ち立てられる。かくして偶像神が打ち立てられる。《それゆえに神は彼らを見棄て給うた。》・・・真の神を忘れるということは、それ自身が既に神を忘れる者に対する神の怒りの発現である(1・18)」(著作集14『ローマ書』、新教出版社、62頁)と述べている。

つまり、私たちが神として説明したものは偶像の一つであると警告しているのである。そして「ナザレのイエスの中にキリストを見出したということは、神の信実を告げる一切の告知がまさにイエスにおいてわれわれと邂逅した」(同上、114頁)と述べ、「イエスが律法と予言者たちとによって証しせられた神の信実を伝える窮極の言葉であり、すべてのほかの言葉を解明してその意味を最も明確に表現している言葉であるということによって、実証せられる」(同上、115頁)と述べている。

バルトは、「パウロはローマ書の中で本当にイエス・キリストのことを語ったのであり、それ以外の何かについて語ったのではない」(著作集14『ローマ書』、新教出版社、13頁)と述べている。

 

当時の歴史的批評主義からすれば、このような『ローマ書』は学問的な釈義などと言えたものではなく、それはバルトの独断論であると思われた。だが、バルトはハルナックに代表される近代神学(自由主義神学)の「歴史的・批評的方法」に対して、それらの学問が聖書の記述の事実性を確定する上で不可欠であることを認めるが、聖書の理解や解明、すなわち釈義そのものではないと真っ向から反論した。

『ローマ書』の解題には、少し意訳したが、次のように論述されている。

「彼が歴史的批評を認めるのは、あくまでも聖書の記述する事実の確定という聖書釈義の予備的段階にすぎないのであり、これが釈義そのものであることを要求するなら、それは拒否されねばならない。聖書をひとつの人間的・歴史的な文書として取り扱う歴史的批評学には、本質的な限界性がある。このようなものは釈義学上の素材に過ぎず、決して聖書の理解や解明と称し得べくもない」(『ローマ書』、解説 656頁 参照)というのである。

これに比べて、「聖書の一語一語を神の言葉とする霊感説は、聖書の人間的文書たる面を無視するという重大な欠陥をもつものの、釈義の真義を捉えている点、バルトはむしろこのほうに一層の親近性を感じる」(同上、参照)と。

 

しかし、彼の釈義的態度は、自由主義神学でも正統主義神学でもない。そのいずれをも排し、同時に、そのいずれをも採る立場であって、「『テキストからザッヘ(Sache)そのものへ』をその釈義学的方法とする」(『ローマ書』、解説、656頁)のである。彼の常用語であるザッヘとは、「外殻であるテキストの言葉ではなくて、そこにある核心的な事実、すなわち言いかえれば、人間の言葉である聖書の証言ではなくて、それが証言するところの神的事実そのもの、という意味である」(同上、解説、656頁)というのである。

バルトの神学はこのザッヘ(Sache 事柄)との関連性において考察せねばならない。すなわちイエス・キリストにおいて和解した神と人間の関係、言い換えると、人間を否定することによって肯定する神と、この神による人間の救いの福音なのである。彼はこのような釈義を『神学的釈義』(われ信ず)と名づけ、これこそはルターやカルヴァンの釈義であるとする。

バルト1 キリスト中心主義(一切の人間学的要素の排除)(1)

歴史的政治状況と対決

バルトは、スイスの改革派の牧師であった頃、労働運動と社会主義にかかわり、牧師でありながらスイス社会民主党(1915年)に入党する。それで「赤い牧師」と呼ばれたが、その改革派の宗教改革とは、人間の内面の変化だけでなく、社会全体の改革をなそうとするのである。すなわち、「生ける神」はその意志を、彼岸においてではなく、この世界の中で、ただ単にキリスト者や教会を通してだけでなく、無神論者や社会主義者を通しても貫徹される、と捉える信仰である。

 

*バルトは「イエス・キリストは《マルクス主義者》のためにも死に給うたのだが、また《資本主義者》と《帝国主義者》と《ファシスト》のためにも死に給うた」(『カール・バルトの生涯』エーバハルト・ブッシュ、新教出版社、615頁)という。

 

だが近代神学は人間と社会の歪みについて十分な認識を持たず、労使関係という社会問題を解決するには、全く無力であった。

また第一次世界大戦が勃発した時、ドイツでリベラルな神学教師たちも、社会民主主義の指導者たちも戦争イデオロギーに屈伏し、国民戦争推進派へとよろめいて行った。

それでバルトは今まで「ハルナックの弟子」、あるいは「ヘルマンの弟子」といっていたが、その自由主義神学の聖書釈義や教義学の前提が間違っているのではないかと考え始めた。そしてバルトはスイスの宗教社会主義から離れて行った。ただし彼は政党が取り組んでいる問題を捨てて越えようとしたのではなく、それを包含して越え、神からトータルかつラジカルに捉えなおそうとしたのである。

このようにバルト神学は現実との対決の中から形成されていったのである。注①

 

*「バルトは『片手に聖書を、他の手に新聞を持って神学する』ということを、くりかえして語った。バルトの神学は、時代関連的に、状況関連的に読まれ、理解されなければならない」(『カール・バルトと現代』ひとつの出会い―E・ブッシュ教授をむかえて、小林圭治編、新教出版社、100頁)。

 

注①  『バルト』(大木英夫著、講談社、80~98頁 参照)。

「元来、キリスト教は罪人の救いに関わる。キリスト教の本質は、神によって創造された本来の姿(神の似姿)を歪められた人間(罪人)を、神との正しい関係へ回復することである。個人の場合と同様に、社会の歪みが目立つようになれば、当然、歪められた社会を、その本来のあるべき姿(本質)に回復することが、関心の的となるべきである」(『カール・バルト』大島末男著、清水書院、34頁)。

「若いバルトを捉えたもう一つの問題は、社会主義の問題であった。この問題についても、われわれは人の思いを遥かに越える神の摂理を見ることができる」(同上、33頁)。

「真のキリスト者は社会主義者にならなければならない」(『カール・バルトの生涯』エーバーハルト・ブッシュ、新教出版社、120頁)

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