シュヴァイツァー9 信仰義認論への挑戦(9)
(2)、死後になってメシヤにされた!
この問題についてシュヴァイツアーは次のように述べている。
「はんたいに、イエスは自分ではみずからをメシヤだとは考えていなかった、と仮定するならば、イエスがいかにして死後になってメシヤにされたのであるか、この事情が説明できなければならないであろう。死後になってメシヤにされたのは、イエスの公的活動によるものでないことだけは確かである―なぜなら、まさにこの公的活動というものが、イエスのメシヤ性とは何の関係もないもないのであるから! ところで、はたしてそうであるとするならば、12弟子にたいするメシヤの秘密の啓示と大祭司のまえの告白はどういうことになるであろうか? これらの場面は史実でない、と説明するのは、まったくの暴挙である。」(『イエス小伝』、99頁)。
シュヴァイツァーは『イエス伝研究史』で右の諸問題に関してさらに次のごとく述べている。
「神の国を問題にする聖句と、イエスのメシヤ意識を表明する聖句とは、実際、ともに徹頭徹尾終末論的性格を帯びているのである。」(『イエス伝研究史』(上)、白水社、14頁)。
このように考察した後で、「イエスは、その死後はじめて、イエスのよみがえりを信ずる信奉者たちの信仰にもとづき、信奉者たちにとってのメシヤとなったのである。」(同上、14頁)と述べている。そして「人々は、イエスのメシヤ性をあくまでもイエスの秘密とし、イエスの死後はじめてこの秘密が知らされる、という仕方でしか、処理できなかったのである。」(同上、15頁)と言うのである。
このように「イエスのメシヤ性は、じつにイエスの復活にもとづいていたのであって、地上の活動にもとづくものではなかった」(『イエス小伝』、102頁)と言うのである。
ところでシュヴァイツァーは、「イエスの生涯」の研究の動機に関して次のように述べている。
「イエスはかれ自身のメシヤなる尊称を秘密(!)にするように、むしろ強いられてさえいたのはどうしてなのか、これを明らかにする解釈だけである。イエスがメシヤであるということが、なぜイエスにとって秘密であったのか?―これを説明することが、とりもなおさずイエスの生涯を把握することなのである。」(著作集8、『イエス伝』、100頁)。
シュヴァイツァーが『イエス伝』を研究する神学的動機は何であったのか。それは先に論じた聖餐論の問題と「何ゆえにイエスは公生涯の終わりに、それも唐突に、十字架に向かっていったのか」という疑問を解明するためであった。われわれは、ここでシュヴァイツァーが提起したこの問題(イエスのメシヤ性の秘密と受難の秘密)を解明している統一原理(『原理講論』)の「メシヤ論」、すなわち「エリヤの再臨と洗礼ヨハネ」(193頁)、そして「イエスが洗礼ヨハネの使命を代理する」(409頁)という箇所を想起する。もちろんこれらの諸問題と関連する神の救済の予定が、人間の責任分担論との関連で、第一、第二、第三と延長していくことをイエスの予型諭として旧約聖書の「モーセ路程」を通して知らなければならない。そうでなければ地上の公的活動(第一次摂理)とイエスのメシヤ性の関係が分からないであろうというのである。神の業は、すでに歴史の中に啓示しておられるのである。
*「ヘロデは、イエスは洗礼ヨハネだとばかり思いこんでいた。『わたしが首を切ったあのヨハネが死人のあいだからよみがえってきたのだ。だからあのような力が彼のうちに働いているのである』(マルコ6・14)というのである。」(『イエス小伝』、白水社、177頁)
「ところで実際には、イエスが自分をメシヤであると考えていることを知っていたものは、だれひとりいなかったのである。だからひとびとは洗礼者を預言者と考え、イエスはエリヤではあるまいかと、自問したのである。」(著作集8、『イエス伝』、182頁)。「洗礼者についてイエスがその真価を語った言葉(マタイ11・7~15)の、秘密にみちた最後のいくつかの文章の意味するところを、十分に理解したものはだれひとりいなかった。ただひとりイエスにとってのみ、ヨハネは約束されたエリヤなのであった。」(『イエス伝』、182頁)。
上記のごとくシュヴァイツァーはイエスを理解するために、イエスの内面を考察し、統一原理のメシヤ論の内容に近い解釈をしているのである。自由主義神学の伝統に立つシュヴァイツァーにとつて、イエスといえども人間学の対象であり、科学的な歴史研究の対象なのである。自由主義神学と対立する福音主義の批判者は、自己の神学的視座から見て、シュヴァイツアーを短絡的に異端と言って排斥する。同様に、彼らは統一原理を異端というのである。