カテゴリー: シュヴァイツァー「生命への畏敬」

シュヴァイツァー14 信仰義認論への挑戦(14)

「原理的批評」

 十字架の死(贖罪)に対する疑念と愛の実践(「行い」)による「キリストとの合一」(復活理解)を説くシュヴァイツァーの神学思想は、イエスの本来の降臨の目的が「十字架の死」(贖罪)にあるのではなく、「神の国の実現」にあったということを確信する彼の福音書研究の結論に他ならない。イエスの公的活動はメシヤ性と無関係であるとか、なぜメシヤであることを秘密にしたのか、という指摘は、キリスト教の救いの中心である十字架の死の絶対予定説に対する否定である。言い換えると、イエスの本来の目的は死ぬためにきたのではないという神学である。

 このような神学思想がキリスト教界に出現し、霊的精神的環境圏を形成したことは、同じ発想を持つメシヤ思想である統一原理(『原理講論』)を、キリスト教界が受容可能なものとせんがための洗礼ヨハネ的使命を持った神学であると言えよう。

 キリストを信じるだけで救われるのではなく、愛の「行い」による「キリストとの合一」が救いであると強調する点は、ルター以来の信仰義認論に対する批判であり、本来的なイエス・キリストの教えへの帰還を目指すものである。

 「生命に対する畏敬」という世界観と人間観は地上天国の建設を目指す理念であり、個人の救いの次元を超えた理性的な大人を対象としたものである。それは人間だけでなく、万物の救いも包含した再臨のメシヤ思想の到来を予言する成熟社会の神学思想であるといえよう。

以上のような歴史的・学問的に誠実なシュヴァイツアーの神学思想は、イエスといえども人間学の対象とした科学的な歴史研究の結果によって形成されたものである。

また、諸宗教との対話は、宗教統一、思想統一を目指す再臨のメシヤ思想を先駆けるものであるといえよう。

 

注①    『二十世紀神学の形成者たち』(笠井恵二、新教出版社、23頁)②同40頁、③同19頁、④同51頁、⑤同42頁

注⑥『バルト初期神学の展開』(T・F・トーランス、新教出版社、108頁)

 

 

主要参考資料

『イエス伝研究史』(上)、著作集19、白水社

『イエス小伝』著作集8、白水社

『使徒パウロの神秘主義』著作集10、白水社

『わが生活と思想』著作集2、『わが生活と思想』選集2、白水社

『二十世紀神学の形成者たち』笠井恵二、新教出版社

『シュバイツァー』小牧治 泉谷周三郎、清水書院

『文化と倫理』著作集7、白水社

『キリスト教と世界宗教』シュヴァイツェル著、鈴木俊郎訳、岩波書店

シュヴァイツァー13 信仰義認論への挑戦(13)

「生命への畏敬」

 ここで、「生命への畏敬」という言葉がどのように啓示されたかについて述べておこう。

啓示にはいろいろあるが、バルトはイエス・キリスト以外の啓示を認めないが、ここでは文章を書いている時に現れてくる場合である。ルターの「塔の体験」の場合もそうであったし、シュヴァイツァーの場合もそうであった。その啓示とは、どのような心境において起ったのであろうか。

 シュヴァイツァーは文化哲学の基礎となる「生命への畏敬」の思想に到達するまで長く呻吟し道なき密林を彷徨し、時に意気阻喪(そそう)してしまったこともある。その時期、彼は河を遡ってかなり長い旅をしなくてはならないことが有った(1915年9月)。

 その旅の途上において新しい思想が突如彼に臨んだのである。その時の体験を次のように彼は述べている。

 「舟はくるしそうに砂丘のあいだをわけながら、ゆるゆるとオゴーウェ河をさかのぼって行った。ちょうど乾燥期であった。私は引舟の甲板の上に茫然と坐っていた。心中には、いかなる哲学の中にも書いてない根本的な普遍的な倫理性の概念を考えて、苦心惨憺しながら、紙に一枚一枚と連絡のない文章を書き記していた。それはただこの問題について集中しておらんがためであった。三日目の晩、日没の頃、河馬の群のあいだを舟が進んで行ったとき、突如、今まで予感もしなければ求めたこともない「生への畏敬」という言葉が心中にひらめいたのであった。― 鉄扉は開けた! 密林の路は見えてきた! ついに私は、世界人生肯定と倫理とがともに包含される理念に到達したのである! 今こそ、倫理的世界人生肯定の世界観が文化理念とともに、思考の中に基礎づけられることが、明白となったのである!」(著作集2、『わが生活と思想』、192頁)と。

 すなわち、シュヴァイツァーは自己を多くの「生きようとする意志」に取り囲まれた一つの「生きようとする意志」として感じたとき、すべての存在者との共生共栄の理念を発見するのである。

 このことに関して、また、彼は次のように述べている。

 「他者の『生きようとする意志』に対して自己のそれに対する同様な『生命に対する畏敬』を払うべき必然を感得することであるべきである。これは他者の生命を自己の生命の中に体験することである。・・・・『生命に対する畏敬』の倫理とは、すべての愛、献身、苦痛をともにし歓びをともにし努力をともにすることの一切をいうのである。それゆえ『生命に対する畏敬は』は『生きようとする意志』が思想化されたものであり、それは世界人生肯定とそして倫理とをともに含有している。」(『キリスト教と世界宗教』、93頁)。

 「他者の生命を自己の生命の中に体験する」とは、人類の罪を自分が背負って十字架についたイエス・キリストの精神と一致するものである。

 その精神は、右の文言にあるように、愛、献身、苦痛、歓びを共にし、努力を共にする一切をいうのであり、他者とは人間社会だけでなく、万物をも包含し、万物に対しても同様の精神で接するべきだというのである。

 そして、イエスは「生命への畏敬」の模範的な体現者であるというのである。

 以上が、思索が限界状況に直面した時いかに飛躍するか、それを啓示として、「閃き」として捉える場合の一つの例である。

 聖書に、人間が堕落することによって、万物までも虚無となり、万物が神の子たちの現れることを待っているという、次のような聖句がある。

「被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている」(ローマ人への手紙8・19~22)。

 この聖句は、シュヴァイツァーの「生命への畏敬」の思想の正しさを裏づけている。

 

「生命への畏敬と御言の関係」

*「(ヘリコブター)事故が起きた後に、わたしが深く悟ったことが何かと言えば、太陽も真の父母の血族であるということです。水と空気も真の父母の血族、地も一つの真の父母を育て上げるために存在するというのです。そして、存在するすべてのものは、出発から怨讐という心がありません。出発から相対的存在を調節するとか、相入れない闘争という概念がないのです。」(『ファミリー』2008年10月号、9頁。8月1日「天正宮博物館訓読会での御言」)。ヘリコブター事故(2008年7月19日)

*「この微小な動物も、神様の絶対愛の上で、絶対信仰の上で創造しました。神様ご自身も絶対信仰、絶対愛、絶対何ですか?(「服従です」)。服従です。その上に存在するこのすべてのものは、これから神様の救援摂理圏内ですべて一つになり、各自異なる万有の存在は、数千の系列、数万段階の存在として、真の父母の一身と同じ対等な位置を持つようになったということです。この砂粒なら砂粒にも真の父がいなければならず、真の母がいなければなりません。真の父母がいなければならず、真の愛と真の生命が連結され、真の血統がなければならないのです。その場は、大小の万物を中心とする万有の存在が、解放された完成した花のような香りがする園です。」(『ファミリー』2008年10月号、13頁。2008年8・1)

微小な動物だけでなく、太陽も水も空気も、「真の父母の血族」であり、「この砂粒なら砂粒に真の愛と真の生命が連結され」、真の血統がなければならないといわれているのです。その場は、「大小の万物を中心とする万有の存在が、解放された完成した花のような香りがする園です。」と言われています。これが真の愛による万物主管です。真の愛のない人は万物を主管する資格はない。

聖書に、今まで、被造物全体が虚無に服していたが、「被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。」(ローマ人への手紙、8章19節)とあるように、ついに「万有の存在」が、解放され、完成したのです。それは「真の父母」、「真理の実体」の顕現によるのです。

シュヴァイツァー12 信仰義認論への挑戦(12)

比較宗教の発端はシュヴァイツァーからです。

シュヴァイツァーは『キリスト教と世界宗教』という書物の中で、キリスト教と諸宗教を対立させ、「バラモン教と仏教」そして「シナの宗教思想」を分析し、「インド的宗教心が一元論的悲観主義的であるならば、シナ的宗教心は一元的楽観主義的である」(40頁)と述べている。彼は西洋的世界観の問題を追及してそれ自体を明らかにするために、二つのことを明らかにする。「世界人生否定的悲観主義的であるか、世界人生肯定的楽天主義および倫理的であるか、」と。

 

そしてシュヴァイツァーは次のように結論を述べている。

「いずれの思惟的宗教も、倫理的宗教であろうとするか或いは世界を説明する宗教であろうとするかを選択しなければならない。われわれキリスト教徒は前者をより価値あるものとして選択する。論理的な、それ自体において完結した宗教心をわれわれは放棄する。『いかにしてわれわれは同時に世界にあり同時に神にあることができるか』という問いに対して、イエスの福音は答える。『汝が世界の中にて生きそして世界とは異なるものとして働く・・・ことによって』と。」(『キリスト教と世界宗教』鈴木俊郎訳 岩波文庫 58頁)

 

さらにシュヴァイツァーは対立する問題点について次のように整理し理解する。

「東洋の論理的諸宗教と比較すればイエスの福音は非論理的である。それは倫理的人格としていわば世界の外に立っているひとりの神を前提する。この倫理的人格は世界において作用している力といかに関係しているかという問いの答えとしては、それは不明瞭の域を出ない。神は世界において作用している力の総括概念であること、すなわち存在する一切は神において存在するということを、それは堅持しなければならない。究極的にはそれゆえそれもまた一元論的にまた汎神論的に思惟せざるをえない。同時にしかしそれは神はただ世界において作用している力の総括概念たるべしということに甘んじない、なんとなれば一元論と汎神論の神は―世界に関する自然的思惟の神は―非人格的であってなんら倫理的性格をもっていないからである。それゆえキリスト教は二元論のあらゆる困難を自分自身に引き受ける、それは倫理的有神論である。神を世界とは異なる又私自身を強いて世界と異ならしめる意志として把握する。

 たえずくりかえしその存在の幾世期のあいだそれは神に関する自然的思惟から生ずる観念と倫理的観念とを一致調和させようとこころみる。けっして成功しない。未解決のままそれは一元論と二元論、論理的宗教と倫理的宗教の分裂を自身のなかに担う。」(同上、59~60頁)。

 

*「バラモン教的および仏教的思惟が何かを示すことができるのは、ただ世界から隠遁して無行動的な自己完成に生きられる境地にあるものに対してだけである。畑を耕しているものに或は工場で労働しているものにはそれはただこう言うことができるにすぎない、『きみはまだ真の認識には達していない、そうでないならきみは虚偽にして苦悩多き感覚世界にきみを縛りつけているその労働から目を転ずるであろうから』と。唯一の慰藉(いしゃ)としてそれがかれに期待をもたせて差支えないのは、かれが来世に生まれかわってより高い認識に達し、そしてそのときに世界から抜け出る途を探究することができるということである。」(『キリスト教と世界宗教』シュヴァイツェル、37頁 鈴木俊郎訳 岩波書店)

シュヴァイツァー11 信仰義認論への挑戦(11)

(五)『文化哲学』(「生命への畏敬」=愛の万物主管)

1923年、文化哲学の第1巻の表題は「文化の退廃と再建」、第2巻を「文化と倫理」とし、文化哲学の根源を「生命への畏敬」とする。

シュヴァイツァーは、神の愛を普遍化し、自然を物理的な物質と見ず、「生きようとする生命」(生への意志)と捉え、他者の生命を自己の生命の中に体験する「生命への畏敬の倫理」を説く。イエスはその体現者であるという。

「生命への畏敬」とは、一見すると物質に見える自然に、人間の心のような性相的側面を見る深い宗教性からくる悟りなのである。彼はこの「生命への畏敬の倫理」こそ、正しいキリスト教であり、人類の未来の希望であると断言する。

いち早く東洋の諸宗教と対話したシュヴァイツァーに対し『二十世紀神学の形成者たち』の著者、笠井恵二氏は次のごとく評している。

「生命倫理や地球環境の問題がクローズアップされている今日、植物にまでおよぶ生きとし生けるものへの畏敬の念をいちはやく喚起した彼の深い先見の明に、われわれは深く感動させられる」(52頁)と。

確かに神の愛による万物主管を説く「統一原理」と同様に人間の救いに止まらず、万物の救いまでも説く彼の「生命への畏敬」の神学思想は称賛に値する。

さらにまた、シュヴァイツァーが「一神論は汎神論と対立するものではない」(選集2、『わが生涯と思想』、250頁)と言う時、まさしく彼は20世紀の先駆的神学者と言うべきか。彼の神学思想は、キリスト教的一神論と東洋の自然観(汎神論)との統一の道を示しているからである。

ただし、キリスト教と諸宗教を常に対決させ、論理的思惟より倫理的宗教であるキリスト教の立場を擁護する。

この点に関して、彼は次のように述べている。

「思索から生じる敬虔さをこいねがうキリスト教は汎神論に堕するのではあるまいか、との危惧はいわれなきものである。すべて存在するものは存在の根本原因のうちに存在すると、考えざるをえないのであるから、そのかぎりにおいては、生きたキリスト教は汎神論的になるよりほかないのである。しかし同時に、あらゆる倫理的敬虔さがいかなる汎神論的神秘主義よりもすぐれているのは、それが愛の神を自然のうちに見いださずに、愛の神は愛の意志としてわれわれのうちに現われるとするからである。存在の根本原因は、自然のなかに発現するときはつねに非人格的である。しかし、われわれの心のうちに啓示される存在の根本原因にたいしては、われわれは、倫理的人格にたいすると同様な態度を見せる。一神論は汎神論と対立するものではなくて、むしろ、自然状態にある無規定のもののなかから生まれた倫理的に規定されたものとして、汎神論のうちから現われるのである。」(『わが生涯と思想より』選集2、249~250頁)。

上の文言は一神論と汎神論の問題をみごとに統一していると言えよう。しかし問題がないわけではない。神の愛は自然の内に内在するのではない「われわれのうちに現れる」といい、「自然のなかに発現するときはつねに非人格的である」という。しかし、神と人間と万物の関係が不明瞭なのである。

文鮮明師は、「自然は『真の愛』を学ぶ教材である。神様の宇宙創造の動機は愛である。『講論』では『人間』は神の形象的実体対象として、『万物』は象徴的実体対象として創造された」と述べている。自然には象徴的な愛があり、人間は本来、「神の宮」(コリントⅠ、3・16)なので神様の真の愛が顕現するのである。したがって文鮮明師によると神と人間の関係は父子関係であると説かれるのである。

 

ところで、周知のごとくバルトは頑迷にも自然神学を否定する。そして「シュヴァイツァーの見解において窮極的に危くなっていたのは、キリスト論である。」(註⑥)と、バルトらしく批判することを忘れない。それは彼の神学(キリストを抜きにして神を認識することは出来ない)から見た批判であって、それは一理あるが、しかし聖書は自然神学を否定していない。文鮮明師は、神は科学者であり、自然は第一の聖書であるといわれている。

 

以上のごとく、結論として言えることは、シュヴァイツァーのいう「存在の根本原因」(力の総括)としての神のとらえ方は、論理的思惟的に客観的な神を知る方法であり、「愛による神との合一」は、倫理的に体験的に知る方法である(キリスト教神秘主義による)。

これに対して、「生命への畏敬の倫理」(イエスはその体現者)は、それら双方のとらえ方の統一である。すなわち、万物まで包含した愛を説き、前者と後者との統一なのである。その体現者は文化人であり、そのような人たちによる文化国家の実現をシュヴァイツァーは「文化哲学」で説いているのである。

換言すると、シュヴァイツァーの神学思想の根本原理は「自己犠牲」による「行い」を強調し、愛の実践によるキリストとの合一を説く点にある。すなわち献身(自己犠牲)の倫理の実践による自己完成(神人合一)である。それは信じるだけで救われるという従来のキリスト教の教義(福音主義)への挑戦であり、また救いは個人の次元にとどまることではないということである。

 

 

*「文化と倫理」

「現代において精神の大きな課題は、世界観をつくることである。あらゆる思想は、その時代の世界観を基礎にしている。」(『シュバイツァー』清水書院、164頁)

「われわれは生命の意味をよく考えて、世界と生命とを肯定する世界観を確立しなければならない。この世界観こそ、文化の理想を樹立し、実現する力をあたえるものである。」(同上、166頁)

「倫理について語られるすべてのことは、老子・孔子・ソクラテス・プラトン・イエス・ロック・ヒューム・カント・ヘーゲル・ニーチェなどの思想家によって語りつくされているのではないか。われわれは、これらの偉大なる思想家の考えをこえる見解に到達できるのだろうか。今後これらの思想家の道徳思想を統一する理念を、見いだすことが可能であろうか。」(同上、169頁)

「人類の運命に絶望しないならば、いろいろな思想家の思想を統一する根本原理への希望を、いだくことができるであろう。」(同上、170頁)

「したがって、われわれに残された問題は、つぎの二つの試みしかない。一つは、倫理的な献身から出発して、それを自己完成の倫理のなかにとり入れることである。他の一つは、自己完成から出発して、献身を自己完成の必然的な内容として示すことである。つまり、献身の倫理と自己完成の倫理との総合が問題なのである。」(同上、173~174頁)

 上の文言にあるように、「世界と生命とを肯定する世界観」、「道徳思想を統一する理念」、「献身の倫理と自己完成の倫理との総合」とは、「神の真の愛」(自己犠牲の献身的愛)を実践して自己完成し、家庭倫理として四位基台(四大心情圏と三大王権)を完成させることなのである。

注⑥『バルト初期神学の展開』(T・F・トーランス、新教出版社、108頁)

シュヴァイツァー10 信仰義認論への挑戦(10)

 (四)「十字架の贖罪」

アルベルト・シュヴァイツァーは、「十字架を人類の罪の贖いとして受け取ることを拒否し」(注①)、「人が自己犠牲と苦難において自らの使命を遂行するときにこそ、共に生きているイエスを体験できる」(注②)と人間の責任分担論を語り、彼はパウロの思想をルターのごとく信仰義認論(行いによるのではなく信仰によって義とされる)と捉えることに批判的で、「キリスト神秘主義」の視点からイエス・キリストを解明していったのである。

 すなわち、「パウロはイエスを主体的に主なるキリストとして受けとめ、このキリストと神秘的に合一する体験こそがイエスを真に理解することだと考えた。」(注③)と言うのである。

 このようにシュヴァイツァーは「自己犠牲」による「自らの使命」の遂行(「行い」)によってキリストと合一し得ると言う。合一とは、イエスが自己の内に「共に生きている」という意味である。

 また、思索を強調する彼は、キリスト教の本質を次のように語っている。

「イエスによって告知され、思索によって理解されるキリスト教の本質は、われわれは愛によってのみ神との合一に到達できる、ということにある。神を生き生きと認識するとは、結局、神を愛の意志として身うちに体験することにほかならない。」(注④)と。

このように、愛による「神との合一」を強調するシュヴァイツァーは、受肉した神の子が人類の罪を償うために十字架につき、復活したというような、キリスト教が永いあいだ主張してきたことを繰り返すことはなかったのである。

「神の愛」を体験するとは、それがシュヴァイツァーの復活に対する理解でもあるのだが、彼によると、復活信仰とは「キリストの身体的な復活を信ずること」(注⑤)ではなく、イエスと「共にいる」、その時、すでに復活しているということなのである。客観的に霊の体による復活と捉えていないが。

既存の福音主義神学が「イエスの復活」を文字通り「肉体の復活」と信じることを強いるが、そのことからすれば、シュヴァイツァーの復活理解は現代人にとって理解し納得し得るものである。だがしかし、キリストが心の内に生きているといっても、それは内面的な個人的体験でしかない。復活を普遍的に万人の理解可能なものとするためには、復活とは何かを統一原理のごとく概念的に説かねばならない。そうでなければそれは復活という客観的事実を無視したシュヴァイツァーの主観的解釈に過ぎないということになる。

だが、彼の独創性と偉大さは、すでに明らかである。それは十字架の死から復活した「生きているイエス」に重心がシフトし、既存の神学的理解にこだわらず、自分の内なる声(本心)に従って問題を提起し解釈しているからである。

 

  *「キリストの死は、いかにして罪のゆるしを可能にするのか。いかにしてキリストの死が人間に救いと永遠の命をもたらすのか。何からわれわれは救われるのであるか。神はキリストが死ぬべきことを意図したのか。キリストの死において神は苦しみを受けたのか。このような疑問に対して組織的に解答を与えようとしたとき、和解に関する種々の理論が生まれたのである。」(アラン・リチャードソン著『キリスト教教理史入門』、日本聖公会出版部、108頁)。

和解に関する代表的な教義には、賠償説、充足説、刑罰説、道徳説などがある。

注① 『二十世紀神学の形成者たち』(笠井恵二、新教出版社、23頁)②同40頁、③同19頁、④同51頁、⑤同42頁

シュヴァイツァー9 信仰義認論への挑戦(9)

(2)、死後になってメシヤにされた!

この問題についてシュヴァイツアーは次のように述べている。

「はんたいに、イエスは自分ではみずからをメシヤだとは考えていなかった、と仮定するならば、イエスがいかにして死後になってメシヤにされたのであるか、この事情が説明できなければならないであろう。死後になってメシヤにされたのは、イエスの公的活動によるものでないことだけは確かである―なぜなら、まさにこの公的活動というものが、イエスのメシヤ性とは何の関係もないもないのであるから! ところで、はたしてそうであるとするならば、12弟子にたいするメシヤの秘密の啓示と大祭司のまえの告白はどういうことになるであろうか? これらの場面は史実でない、と説明するのは、まったくの暴挙である。」(『イエス小伝』、99頁)。

 

シュヴァイツァーは『イエス伝研究史』で右の諸問題に関してさらに次のごとく述べている。

「神の国を問題にする聖句と、イエスのメシヤ意識を表明する聖句とは、実際、ともに徹頭徹尾終末論的性格を帯びているのである。」(『イエス伝研究史』(上)、白水社、14頁)。

このように考察した後で、「イエスは、その死後はじめて、イエスのよみがえりを信ずる信奉者たちの信仰にもとづき、信奉者たちにとってのメシヤとなったのである。」(同上、14頁)と述べている。そして「人々は、イエスのメシヤ性をあくまでもイエスの秘密とし、イエスの死後はじめてこの秘密が知らされる、という仕方でしか、処理できなかったのである。」(同上、15頁)と言うのである。

このように「イエスのメシヤ性は、じつにイエスの復活にもとづいていたのであって、地上の活動にもとづくものではなかった」(『イエス小伝』、102頁)と言うのである。

 

ところでシュヴァイツァーは、「イエスの生涯」の研究の動機に関して次のように述べている。

「イエスはかれ自身のメシヤなる尊称を秘密(!)にするように、むしろ強いられてさえいたのはどうしてなのか、これを明らかにする解釈だけである。イエスがメシヤであるということが、なぜイエスにとって秘密であったのか?―これを説明することが、とりもなおさずイエスの生涯を把握することなのである。」(著作集8、『イエス伝』、100頁)。

 

シュヴァイツァーが『イエス伝』を研究する神学的動機は何であったのか。それは先に論じた聖餐論の問題と「何ゆえにイエスは公生涯の終わりに、それも唐突に、十字架に向かっていったのか」という疑問を解明するためであった。われわれは、ここでシュヴァイツァーが提起したこの問題(イエスのメシヤ性の秘密と受難の秘密)を解明している統一原理(『原理講論』)の「メシヤ論」、すなわち「エリヤの再臨と洗礼ヨハネ」(193頁)、そして「イエスが洗礼ヨハネの使命を代理する」(409頁)という箇所を想起する。もちろんこれらの諸問題と関連する神の救済の予定が、人間の責任分担論との関連で、第一、第二、第三と延長していくことをイエスの予型諭として旧約聖書の「モーセ路程」を通して知らなければならない。そうでなければ地上の公的活動(第一次摂理)とイエスのメシヤ性の関係が分からないであろうというのである。神の業は、すでに歴史の中に啓示しておられるのである。

 

*「ヘロデは、イエスは洗礼ヨハネだとばかり思いこんでいた。『わたしが首を切ったあのヨハネが死人のあいだからよみがえってきたのだ。だからあのような力が彼のうちに働いているのである』(マルコ6・14)というのである。」(『イエス小伝』、白水社、177頁)

「ところで実際には、イエスが自分をメシヤであると考えていることを知っていたものは、だれひとりいなかったのである。だからひとびとは洗礼者を預言者と考え、イエスはエリヤではあるまいかと、自問したのである。」(著作集8、『イエス伝』、182頁)。「洗礼者についてイエスがその真価を語った言葉(マタイ11・7~15)の、秘密にみちた最後のいくつかの文章の意味するところを、十分に理解したものはだれひとりいなかった。ただひとりイエスにとってのみ、ヨハネは約束されたエリヤなのであった。」(『イエス伝』、182頁)。

 上記のごとくシュヴァイツァーはイエスを理解するために、イエスの内面を考察し、統一原理のメシヤ論の内容に近い解釈をしているのである。自由主義神学の伝統に立つシュヴァイツァーにとつて、イエスといえども人間学の対象であり、科学的な歴史研究の対象なのである。自由主義神学と対立する福音主義の批判者は、自己の神学的視座から見て、シュヴァイツアーを短絡的に異端と言って排斥する。同様に、彼らは統一原理を異端というのである。

シュヴァイツァー8 信仰義認論への挑戦(8)

(三)『イエス小伝』(イエスの生涯)

シュヴァイツァーは彼の著『イエス小伝』で福音書を研究し、イエスの公生涯について次のような問題点を指摘する。

 

(1)、突然の死の予告

シュヴァイツァーはイエスの「突然の死の予告」について次のように述べている。

「つまり、受難思想があらわれる所までなら、どんなイエス伝でも、一応ついてゆける。しかしちょうどそこで、きまって脈絡がつかなくなってしまうのである。なぜイエスはその時になって突然、どうしても自分が死ななければならない、と考えるのか。またイエスが自分の死は救いをもたらすと考えるのは、どういう意味においてであろうか。従来のイエス伝で、これを明らかにすることに成功しているものは一つもないのである。」(著作集8、『イエス小伝』、97頁)。

このように「突然の死の予告」はなぜかを、誰も解明していないという。そしてシュヴァイツァーは次のような2つの疑問を投げかける。

 

1、公的活動はイエスのメシヤ性と無関係?

2、なぜイエスは自分がメシヤであることを秘密にしたのか?

この二つの問題に関して次のように述べている。

「イエスが本当に自分をメシヤと考えていたとするならば、どうしてイエスは、あたかもメシヤではないかのように行動しているのであろうか? ひいては、イエスのメシヤという尊称と権威ある地位がメシヤの公的活動とまったく無関係であるかに見えることはどのように説明すればよいのであろうか? エルサレムにおけるわずかの日を別にすれば、イエスの公的活動がすでに終わってしまった後になってはじめて、イエスは弟子たちに、自分がだれであるかを打ち明け、さらにその上に、この秘密を厳守するようにかれらに命じているということは、これはどう考えればよいのか? 慎重な心遣いから、あるいは教育的な意図からイエスはこのような態度を余儀なくされた、とするのはすこしも説明になっていない。イエスが弟子たちや群集を教化して自分がメシヤであることを悟らしめようとしたというようなことを、ほんのわずかでも暗示している言葉がはたして共観福音書のどこにあるのであろうか?」(著作集8、『イエス小伝』、98頁)。

「なにゆえにイエスはメシヤ観念に対する自分の解釈をどこまでも沈黙しとおしたのであろうか?」(同上、『イエス小伝』、99頁)。

このようにシュヴァイツァーは、なぜイエスはメシヤであることを秘密にし、沈黙しとおしたのかと問題を提起する。これらの疑問は、統一原理(『原理講論』)の「メシヤ論」ですべて解明されている。シュヴァイツァーは問題提起にとどまっていたが、彼が統一原理を知れば、どれほど喜んだことであろうか。異端と言った人たちを論破したに違いない。

シュヴァイツァー7 信仰義認論への挑戦(7)

「初期キリスト教の発展史」

イエスの死後、神の国は到来せず、終末論的待望の退潮によって、原始キリスト教の教えがいかに変貌し思想的に発展していくかについてシュヴァイツァーは次のように述べている。

「この書物のパウロの教えの叙述によって、私は自分のこれまでの神学的著作にもくろまれた企てをある意味で完結せしめている。すでに学生時代から、私は、初代のキリスト教の思想的発展を、私にとって異議をさしはさむことのできないように思われる前提―すなわちイエスの神の国の教説は全く終末論的なものであり、それを聴いた者たちもまたそのようなものとして理解したのであるという前提―からあきらかにしようという計画をいだいていた。聖餐の歴史的起源の問題、イエスのメシヤ性の秘密と受難の秘密、イエス伝研究およびパウロの教えの解釈の諸過程等についての私の研究は、ことごとく次の二つの問題―イエスの説教の終末論的解釈以外にそれと並んでなおなんらかの他の解釈が入りこむ余地があるかどうか、また、元来は徹頭徹尾終末論的であったクリスチャンの信仰が、ヘレニズム的思考法によってその終末論的思考法がとって代られるにおよんで、どのようになっていったかという問題―をめぐって展開されている。」(著作集10巻、『使徒パウロの神秘主義』(上)、14頁)

 

 シュヴァイツァーは初代のキリスト教の思想的発展に関して、「キリストにある」という「キリスト神秘主義」がキリスト教のヘレニズム化を可能にしたという。

「すなわち―なぜ、イグナティオスやその他の第二世紀の小アジアの神学の代表者たちは、すでに現存していた原始キリスト教の教えをそのまま採用することができなかったか、またどんなふうに彼らはそれをヘレニズム的な教えに考え改めているのであるか―という問いである。それに対する答えは非常に単純であって、彼らは、終末論的待望の退潮によって、全く自然に、その信仰を当時彼らに周知のヘレニズム的諸観念を用いて新しく理解し直そうとするに至った、ということである。このことが可能になったのは、彼らがパウロの『キリストにある』という神秘主義を熟知していたからである。彼らは、このパウロの神秘主義を、もはや彼らにとって理解できないそれの終末論的な論理に代うるにヘレニズム的な論理を以てすることによって、受けいれたのである。このようにして、イエスからパウロを経てイグナティオスにいたる展開がきわめて自然な仕方で説明される。パウロ自身はキリスト教をヘレニズム化した者ではなかった。しかし彼は、『キリストにある』というその終末論的神秘主義によって、キリスト教のヘレニズム化を可能とするような一つの表現様式をキリスト教に与えたのである。」(同上、『使徒パウロの神秘主義』、15~16頁)

 

*なぜ終末論的待望は退潮したのか。なぜイエスはすぐ来るといったのか。この問いに答えなければならない。「終末が幾度かあった」(『原理講論』147頁)。ノアのときも、イエスのときも、イエスの再臨のときも終末である。現代も終末である。イエスがすぐ来るといわれて二千年も経っている。再臨が何時なのか誰も分からない。シュヴァイツァーは文化哲学を説くがこれらについては明確に答えていない。

しかしシュヴァイツァーは次のように述べている点を忘れてはならない。

「近代のプロテスタント・キリスト教は、宗教的な必要からして、神の国とその到来に関する、イエスの告知の中に存在していた終末論的な見解を棄てて、自己流の見解を、あたかもそれが真のイエスの告知であるかのように、なしたのであった。」(著作集8、『終末論の変遷における神の国の理念』、331頁)と。

 現代神学は、終末論的な見解を捨てるだけでなく、再臨も語らない傾向性にある。

シュヴァイツァー6 信仰義認論への挑戦(6)

「終末論的視座からの解釈」

イエスは、後期ユダヤ教の世界終末の期待およびその後現わるべき超自然のメシヤ王国の期待という観念界の中に生きていたとシュヴァイツアーはいう。また、パウロも同じ終末論的世界観の中に生きていたという彼の終末論的視座からの解釈について次に見てみよう。

「パウロの思想圏研究史の結果、1911年に、私はつぎの結論に到達したのであった。すなわち、当時一般に見込ありと考えられていた、非ユダヤ教的な外見をもつ神秘的なパウロの救済教義をギリシャ思想に持って行こう、とする解決法は不可能である、ただ終末説よりする説明のみが可能である、」(選集2、『わが生活と思想』155頁)と。

このようにシュヴァイツァーは、従来の学説であるパウロの非ユダヤ的と見られる神秘主義を、ギリシャ思想からではなく、終末観の思想から解釈したものと捉え直すのである。

 

「ゆえに、『キリストに内在』し『キリストと共に死し共に復活する』という神秘主義の中には、世界終末を期待する緊張した感情があるわけである。メシヤの国ただちに出現すべし、という信仰より出発して、パウロは、―イエスの死と復活とともに、自然より超自然への転化がもはや真実に始まっている、―と確信した。ゆえに、この神秘思想には宇宙の変動ということがその前提となっている。

この『キリストと結合する』ということの意義、を体得することよりして、パウロの実践倫理は生ずる。」(著作集2、『わが生活と思想』、258頁)と。

 

笠井氏は、シュヴァイツァーの神学的視座について次のように述べている。

「シュヴァイツァーの研究は、のちのバルトのような、イエス・キリストを人間となった神として見、信仰的な基準ですべてを主張していこうとする神学とは方法がまったく異なる。この終末論的・歴史的方法においてシュヴァイツァーは、神学といえども徹底的に歴史的・学問的に誠実であり続けねばならないとしたハルナックやトレルチの自由主義神学の伝統を継承しているのである。」(『二十世紀神学の形成者たち』、笠井恵二、17頁)

 

*シュヴァイツアーの神学(歴史的・学問的に誠実な視座)の影響について

パネンベルクは「救済の出来事と歴史」(1959)と言う論文で次のように述べているといわれている。

「歴史はキリスト教神学の最も包括的な地平である。すべての神学的な問いと答えは、ただ歴史という枠の内部にあってはじめてその意味をもつ。神が人類とともに、また人類を通して自らの被造物全体と共有しているこの歴史は、将来へと向かっている。将来は世界に対してはまだ隠されているが、しかしイエス・キリストにおいてすでに啓示されている」。ここに綱領的な明瞭さで示されているように、パネンベルクは、一方では歴史を『実存の歴史性』へと解消するブルトマンやゴーガルテンに対して、他方では受肉を『原歴史』として解釈するバルトに対して真っ向から反対して、イエス・キリストの出来事の『歴史的な性格』を断固主張する。彼によれば、イエス・キリストにおける救済の出来事は、人類史のただ中において実際に生起したのである。したがって、神学は歴史的・批判的研究の及ばない非歴史的領域に逃避してはならない。『歴史としての啓示』を主張するパネンベルクは、ユダヤ黙示録文学の終末論とそこに成立する『普遍史』の観念の中に自らの拠り所を見だす。」(『キリスト論論争史』水垣渉・小高毅 日本キリスト教団出版局、525頁)

シュヴァイツァー5 信仰義認論への挑戦(5)

「医学研究1905~1912年」

シュヴァイツァーは、奉仕活動をするために医者となる決心をし、1905年10月、自分の教えていた大学の医学部の一学生として解剖学、生理学、化学、動物学などを学びはじめた。また他方では、神学部の講師と説教者としての役目を果たしつづけた。そしてその間に、1906年、長年の課題であった『イエス伝研究史』が完成した。

その研究結果について次のように述べている。

「私は『イエス伝研究史』の中で、イエスは、後期ユダヤ教の世界終末期待およびその後現わるべき超自然のメシヤ王国の期待という観念界の中に生きていた、ことを証明したこの観念は、今日の我々から見れば妄想的な感がある。」(著作集2、『わが生活と思想』、136頁)と。

「妄想的な感がある」というのは、実際には、超自然のメシヤ王国は実現せず、終末は延長されて来たからであろう。

『イエス伝』の研究が終わったのでシュヴァイツァーは、自然科学の勉強に没頭した。従って、科学的思考法が彼の神学に反映していることは言うまでもないことである。

 

*無形なる神を実証するために、文鮮明師は電子工学を学ばれ、宇宙を創造した「神様は科学者である」と言われ、「ペア・システムを中心とした万物は、理想的な愛を訪ねていくことができる人間の教材です。」「宇宙の根本は愛である」「神様の宇宙創造の動機は愛」(『天聖経』宇宙の根本)であると言われた。

バルトは一切の人間学的要素を排除したが、ティリッヒは「科学と心理学と歴史学は神学の味方である」と言った。

 

「アフリカで医療活動」

シュヴァイツアーは、6年間の勉強の後、新婚の妻とともに1913年当時フランス領であったアフリカのランバレネで黒人達の医療にあたり、第一次世界大戦、フランスの植民地に住むドイツ人として捕虜、帰郷、第2次アフリカ事業(1924~1927年)、帰国、1929年12月第3次アフリカ事業、第二次世界大戦、とこの激動の時代を生き抜き、90才で世を去るまでこの困難をきわめた医療活動を放棄することはなかった。また同時に時間のあるときは「文化と倫理」を省察した。

 

(二)「初期キリスト教の発展史」(科学的な歴史研究)

「シュヴァイツァーの神学姿勢」

シュヴァイツァーは『イエス伝研究史』を完了して後、「パウロの教義」の研究に移った。その時の心境について次のように語っている。

「パウロの教義を研究するにあたっても、聖餐およびイエス伝の研究の場合と同じ方法をとったのであった。つねに私は、単に得た解決を叙述する、に満足しなかった。さらにそれ以上に、問題の歴史を書く、という仕事をみずからに課したのであった。」(著作集2、『わが生活と思想』、147頁)

このように、シュヴァイツアーは既存の学説を徹底的に歴史的に研究して既存神学の教義に追従しない気骨ある心情を吐露している。

 

「イエスとパウロの研究は対」

また第一次世界大戦の勃発が契機となって「文化哲学」を考究するようになるが、『イエス伝研究史』と対である「使徒パウロの神秘主義」の研究があるが、それについて次のように述べている。

「医学研究も終わりにちかづいて、神学研究に当てる暇ができたときには、パウロの思想圏にかんする科学的研究の歴史を、『イエス伝研究史』と対になるものとして、また、《パウロの教義》解の緒論としても、つくる必要にせまられていた。そしてわたしは、イエスおよびパウロの教えをあらたに解釈した立場から、聖餐と洗礼との発生史、および、その初期キリスト教時代における発展史に最後的な形をあたえるのには、1年ないし2年と予定されていたアフリカでの活動が終わったあとの、休息の期間をあてようと考えた。しかし、この計画は第一次大戦のため、だいなしにされた。わたしが要約のことでヨーロッパに帰ったのは、2年どころか4年半のちのことであり、その上、わたしは病気で、生活の手段さえ奪われていたのであった。しかもそのあいだに―またもやあらたに間奏曲! ―わたしは文化哲学にかんする仕事にはいりこんでいた! こうして、『初期キリスト教時代における聖餐および洗礼の歴史』は講義用の草案のままで終わったのであった。・・・・これの根本思想は、『パウロの神秘主義』についての著作のなかで述べておいた。」(選集2、『わが生活と思想』、40頁)

 

*文鮮明師も「歴史は科学の時代に来ています。」(『天聖経』分冊『真の神様』92頁)と言われている。