ブルトマンの「非神話化」( 現代から見た信仰と実存論的解釈学)(1)

ルドルフ・ブルトマン(Rudolf Bultmann, 1884-1976)はドイツのプロテスタントの神学者。文学様式による分類方法と原始キリスト教団の「生活の座」(ジッツ・イム・レーベン)から、新約聖書の資料を分析し、福音書を研究する方法(「様式史的方法」)を確立した創始者の一人。また新約聖書の非神話化を主張し、実存論的解釈を提唱する。

 

(一)ブルトマンの『共観福音書伝承史』(「様式史的方法」)

 

ルドルフ・ブルトマンは、歴史的・批評的神学から出発して『共観福音書伝承史』(1921年)を出版し、すでにヘルマン・グンケル(1862-1932)によって旧約聖書の文学的研究で用いられていた「様式史的方法」を福音書の研究に用い、新約学に画期的な業績を残した。

福音書における様式史的研究方法は、先にM・ディベリウスとK・シュミットが確立していたが、ブルトマンはこれらをさらに深化させて、独自の研究の成果を上げた。

 

様式史的方法とは、記述の重なり合うマルコ、マタイ、ルカの共観福音書を様式によって整理分類し、そのもととなる資料(Q資料)を推定する作業のことである【註①】。現代の福音書研究のほとんどすべては、この様式史的方法を発展させたものである【註②】。

 

その研究の結果、「イエスに関する伝承は種々の異なった『様式』を伴って言い伝えられており、それらの伝承様式の背後に、それらを生み出した伝承の『生活の座』(Sitz im Leben)として原始教団の意図的業が確認される」(『イエス・キリスト』荒井献著、講談社、54頁)と言うのである。

 

すなわち、「はじめに教団(宣教、ケリュグマ)ありき」ということであり、共観福音書(AD68~85年頃成立)は、客観的に歴史的事実を記述したものではなく、初期キリスト教団の信仰の所産であるというのである【註③】。

 

ブルトマン著『共観福音書伝承史』より

「様式史研究が単なる美学的考察でなく、また単に記述と分類の手続きに留まらない、とのDibeliusの主張に、わたしは全面的に同意する。すなわち個々の伝承片を美学的ないしその他の特徴に従って記述したり、分類したりすることが、様式史研究の課題ではないのである。むしろその課題は、それらの伝承片の成立と歴史を再編成することによって、成文化以前の伝承の歴史を解明することにある。このような課題の理解は、ある共同体の――それゆえ、また、原始キリスト教会の――生活の凝縮したものとしての文学が、その共同体のきわめて特定的な生活の表現および必要の中から生まれたということ、そしてそれらは一定の文体(Stil)、様式(Form)、および文学類型(Gattung)を生み出した、という認識に基づいている。特質を異にする様々の祭儀であれ、また労働、狩猟、あるいは戦争であれ、すべての文学類型は固有の〈生活の座〉(Sitz im Leben) (Gunkel)を持つのである。この“生活の座”は個々の歴史的事件ではなく、共同体の生活における典型的な情況ないしその行動様式なのであるが、<類型>ないし<様式>――それによって個々の伝承片は一つの類型へと分類される――も美学的概念ではなく社会学的概念なのである」(『共観福音書伝承史Ⅰ』加山宏路訳、新教出版社、11頁)

 

 

【註①】

「様式史的方法」

 

「問題は、なぜマルコが『福音』を『福音書』の中に、すなわち信仰告白をイエスの生涯全体の中に取り戻そうとしたのか、なぜマタイとルカがマルコのイエス・キリスト像に――Qその他の資料を導入しながら――改変の手を加えたのか、ということである。その結果、当然のことながら、彼らのイエス・キリスト像には多様性が出てくる。にもかかわらず、彼らが伝統をただ形式的に墨守(ぼくしゅ)せず、新しいイエス・キリストを像型したのは、彼らの時代の状況の中でイエス・キリストの意味を主体的・歴史的に問い直そうとしたからにほかならない」(『イエス・キリスト』荒井献著、講談社、492頁)

 

Q資料とは、「現在文章の形で残っているものではなく、マタイ福音書とルカ福音書に共通するイエスの言葉から、その存在が仮定的に推定されているものである」(同上、53頁)。

1945年に発見された『トマスによる福音書』には、「Q資料」と重なるイエスの言葉が多く含まれている。「語録資料」とは、「資料」を意味するドイツ語Quelle(クヴェレ)の頭文字をとって「Q資料」と呼ばれている。

 

「福音書の中でマルコ福音書が最古の時代に著わされ、マタイとルカは……マルコ福音書を資料とし、イエスの言葉についてはマルコ福音書とは別の『語録資料』(Q資料)を資料として、これにマタイとルカにそれぞれ固有な『特殊資料』を加えて、それぞれ福音書を著作した」(同上、53頁)

 

したがって、イエスに関する最古の資料は「マルコ福音書」と「語録資料」(Q資料)の二つである。これを二資料仮説という。

 

「後世のキリスト教思想に影響を与えたのは……ヨハネ福音書と、とりわけパウロあるいはパウロ系の手紙とに表出されたイエス・キリストである」(『イエス・キリスト』荒井献著、講談社、492頁)

 

なぜそう言われるかといえば、イエスの死と復活以後、救いが十字架の死による贖い(十字架贖罪)にあるという教団側の主張を、ヨハネとパウロがより反映しているからである。その点は、例えば、最古のマルコ福音書からマタイ、ルカ、ヨハネと時代が進むに従って、十字架上のイエスの口に新しい言葉を付加し、教団側の主張が正しいという根拠を、それによって得ようとしていることから窺えるからである。

 

マルコ福音書では十字架上のイエスの言葉として、ただ一つだけ、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15・34)と記している。

だが、この言葉は神に見捨てられた絶望の叫びと受け取られ、十字架の予定説の否定として受け取られかねない。それで、ルカとヨハネは、漸次的に、もっとふさわしい言葉をイエスの最後の言葉として、その口に次のように付け加えたのである。

 

ルカは「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23・34)と、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」(同23・46)をイエスの言葉として付加した。

 

また、ヨハネは「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」および「ごらんなさい。これはあなたの母です」(ヨハネ19・26)と、「わたしは、かわく」(同19・28)、そして「すべてが終った」(同19・30)と記し、十字架が予定であり、救いが勝利的に完結したと受け取れる言葉をイエスの口にのせたのである。

このように新しいものほど、より教団側の意図を反映していると見なされるのである。

 

【註②】

「編集史的方法」

 

「編集史的方法」とは、「福音書記者たちが個別伝承を編集していく作業に着眼し、そこから彼らに固有な思想(イエス・キリスト理解)を確定していかなければならない(のであるが)、その際……福音書記者たちが採用した伝承部分(伝承句)と、彼らがそれらに手を加え、それらを結合していった編集部分(編集句)とを区別しなければならない。そして、この編集部分を手掛かりとして福音書記者の思想を分析・再現する方法のことを、我々は『編集史』的方法と呼ぶ」(『イエス・キリスト』荒井献著、講談社、384頁)

 

【註③】

「福音書編纂の歴史的背景」

 

「福音書の著者たちは、わたしたちが歴史について考えるほど、歴史に関心をもっていなかったことを、福音書研究は明らかにする。過去をなんとかして保存しようとの意図はみられない」(『現代キリスト教入門』W・E・ホーダーン著、日本基督教団出版局、272頁)

聖書「正典」の編纂の意図は――「二、三世紀の正統教会がマルキオン派やグノーシス派の『異端』による教会分裂の危機から自らを守るためにとった手段」(『イエス・キリスト』荒井献著、講談社、488頁)に他ならない。

 

マルキオン(100-160年頃)は、「特定の福音書によりながら自己のイエス理解を排他的に主張する人々……その代表的な例がマルキオンとその党派であろう。彼は旧約聖書の『義なる』神を新約の『善なる』神によって止揚し、『律法』を排して『信仰のみ』の立場(いわゆる「パウロ主義」の一形態)を押し出した。そしてその手段として、10通のパウロの手紙(テモテ、テトス、ヘブル書を除く)とパウロ主義の立場から短縮・改竄したルカ福音書とだけを『正典』とし、神の子キリストの肉体性を否定、処女降誕、復活信仰を捨てたのである」(同上、484頁)

 

マルキオンと同様に、グノーシス主義の一派ではイエス・キリストは肉体を持つ存在として降臨したのではないという。初代教会は、これらマルキオンなどの異端と闘わねばならなかった。

 

以上のごとく、統一原理の立場は、キリストの肉体性を否定、処女降誕、復活信仰などに関して、キリスト仮現説を主張するマルキオンのごとく、それらを捨て去ろうとするのではない。また、正統派信仰のように、非科学的にそれらの出来事を盲信することでもない。

 

次に、グノーシス主義についてであるが、グノーシスとは、ギリシア語で「認識」「知識」を意味し、人間は本来的自己(魂)を「認識」することによって救済されると主張する。

また、「旧約聖書の律法を放棄し、マルキオンと同様に、イエスの処女降誕、肉体による復活を否認したのである。グノーシス派がよった聖書は、パウロの手紙とヨハネ福音書、とりわけトマス福音書であった」(同上、484頁)

 

初代教会の最大の危機はこのグノーシスの異端との闘いであった。

正典に関して、――カトリックとプロテスタントは、新約聖書は同数(27)で、配列も同じである。旧約聖書において、プロテスタントは39の書物、カトリックでは46の書物を有する。

カトリックに含まれ、プロテスタントに含まれない7つの書物はカトリックで第二正典といい、プロテスタントは外典と呼んでいる。その7つとは、トビト記、ユディト記、マカバイ記Ⅰ、マカバイ記Ⅱ、知恵の書(ソロモンの知恵)、シラ書(集会の書)、バルク書(エレミヤの手紙を含む)である。ただし、そのほかに、エステル記とダニエル書の補遺を付け加える。

 

ブルトマンの復活信仰の理解について、――ブルトマンにとって「復活節の出来事は、決して史的な出来事ではない」(『ブルトマン』笠井恵二著、清水書院、107頁)

彼にとって、復活説の信仰とは、「宣教の言葉こそが正当な神の言葉であるという信仰である」(同上、107頁)。つまり復活は客観的な出来事ではなく、イエスの語ったことばを信ずるところにあるというのである。換言すると、「この信仰が発生した史的な出来事が初代の弟子たちに対してそうであったように、よみがえった者の自己証言、十字架の救済の出来事をそこで完成せしめる神の行為を意味するのである」(同上、107頁)という。

 

これがブルトマンの復活信仰の理解であり、復活を歴史的出来事と理解しているのではない。これに対してバルトはイエスの肉体の復活を歴史的な客観的な出来事として捉え、それを信ずべき出来事だという。統一原理は復活を歴史的出来事と理解するが霊的な出来事、霊的からだの復活であると解釈する。

 

多様なキリスト像について――「現在、『イエス・キリスト』と言っても、それはきわめて多様である。このことは、同じキリスト教が、ローマ・カトリック教会、コプト(エジプト)・シリアなどの国民正教会、ギリシア(およびロシア)正教会、英国国教会、プロテスタント教会などの諸教派に分かれており、これらの教派においてイエス・キリスト理解(広義のキリスト論)が異なっている事実を見れば明らかである。さらに、諸教派のうちにプロテスタント教会に至っては、その中に無数の分派が存在し、各派がそれぞれ独自のキリスト論を主張する」(『イエス・キリスト』、荒井献著、講談社、483頁)

 



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