Archive for 10月 29th, 2012

序1 「現代神学思想の概観」 ――再臨のメシヤの思想圏

「洗礼ヨハネ的使命をもった神学」

20世紀前半の激闘期にキリスト教を導いたプロテスタントの神学者として、アルベルト・シュヴァイツァー(1875年~1965年)「生命への畏敬」、エミール・ブルンナー(1889年~1966年)「出会いの神学」、パウル・ティリッヒ(1886年~1965年)「弁証神学」、ルドルフ・カール・ブルトマン(1884年~1976年)「非神話化」(実存論的解釈)、カール・バルト(1886年~1968年)「神の言葉の神学」(キリスト論的集中)、ディートリッヒ・ボンヘッファー(1906年~1945年)「成人した世界」(聖書の諸概念の非宗教的解釈)らの、まず6人を挙げることができる。

その他、重要な組織神学者として、ニーバー兄弟(ラインホルド・ニーバー、リチャード・ニーバー)、ヴォルフハルト・パネンベルク、ユルゲン・モルトマンといった人たちがいる。

これらの神学者に導かれて、今日のプロテスタント・キリスト教が存在する。

彼らの言葉は、決して古いものではなく、現代に生きるわれわれに対しても、なお力を持つ。それらの神学は、メシヤが来る前に「民を主に備える」(ルカ1章17節)ために洗礼ヨハネがエリヤの使命を持って出現したごとく、躓きとなる既存の信仰観にもとづく聖書理解や、既成の観念や概念を打破するために出現したのである。

そして、聖書の使信(ケリュグマ、宣教の言葉)に対する統一的で全体的な新しい解釈(統一原理)を現代人に受容可能なものとするために、全き真理(Ⅰコリント13章10節)の一端に光を照らすためであった。

すなわち、死せるキリスト教を新しく活性化させ、人々の心を神に向けさせるために、それらの神学は現代人の理性の批判に耐えうるものであり、人間の理性を納得せしめるものであるというのである。現代の科学万能主義の時代に、いわば、歴史の転換点に転轍機(てんてつき)として必然的に出現する運命にある神学であったといえよう。

ただし、バルトは神認識において信仰を強調し、理性による神認識に批判的であるが、そのバルトを中心に、バルト対ブルンナー、バルト対ブルトマンといわれるがごとく、各々が鋭く対立し論駁しあったが、全体的、統一的に捉えるなら、それぞれの神学が、真理の実体であるメシヤ(キリスト)に集中し、真理の全体像に対して、いろいろな角度から、その部分を照らす役割分担を担っていたことが分かるのである。

もし、これらの神学者が現れなければ、全き真理がきても、既成の信仰観が妨げとなって、全きものと見なされず、真理の言葉が受容されないかもしれないのである。

しかし、信徒たちがこれらの神学を知ることによって、全きもの(再臨のメシヤ)が証しされ、その言葉が絶対的真理であることを、あらゆる角度から論証されるに至るのである。

 

「誤った偶像」

既存の教義や信仰観に対する考え方は、全き真理ではなく、部分的真理であって、それらを盲信するなら「誤った偶像」となるものである。したがって、それらは、過去のある時代において、必要不可欠な摂理的使命をもった、いわば、時代的に制約された神学思想であると言えるのである(Ⅰコリント13章9~10節)。

それゆえ、時代が移り変わり、再臨の時が満ちたならば、既存の教義や信仰観は、その時代的使命を終え、自然に消滅していくものである。

しかし、旧約の律法が、イエス(全き真理)に対してそうであったごとく、既存の教義は、再臨する「全き真理」に対して反対することも危惧される。メシヤは、律法の否定者(破壊者)ではなく完成者であったが、確かにキリストは状況に応じて、当時のユダヤ教指導者から排斥されたのも事実であった。

「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである」(マタイ5章17~18節)とイエスが語られたごとく、同じ律法と福音の完成者として来られた再臨のメシヤの思想も同じである。

 

「結論」

以上のごとく、「民を主に備える」ために、先に上げた20世紀の神学者たちが洗礼ヨハネ的使命をもって歴史上に出現し、既存の考え方に対して新しい観点や方法で論戦を挑んだのである。否、神によって必然的に押し出され、挑まされたというべきか。全能なる神は、反対者をも摂理の中に包含されて、歴史の目的を成就されるというのである。

神の霊に導かれた彼らの言葉は、既存の古いキリスト教的信仰観を破壊するに十分で、衝撃的で、大胆である。たとえ、それが全き真理に対して「群盲象を評する」部分的なものであったとしても、そうである。

結論として、「全き真理」(再臨のメシヤの思想=統一原理)は、洗礼ヨハネ的使命をもった神学を包含し、古い教えを否定するのではなく、その意図する目的を成就する。