Archive for 12月 30th, 2014

ルターと福音主義(3)

(三)「宗教改革の核心」

 

 (1)「サクラメント」

 

次に、カトリックの秘蹟ひせき(サクラメント)とは、という問題に少しふれた後に、〝宗教改革〟の核心に迫っていこう。

 

秘蹟(サクラメント)とは、カトリック教会の用語であって、プロテスタント教会では「聖礼典」といわれ、説教とともに、教会の重要な機能とされている。すなわち、それはキリストの内的な見えない霊的恩恵を、外的な見える形で表現する〝しるし〟と考えられているのである。ローマ・カトリック教会では、洗礼、堅信、聖体、悔悛かいしゅん(告解)、終油(病者の塗油)、叙階、婚姻(結婚)の七つを「秘蹟」と定めている。

 

これに対して、プロテスタント教会では、洗礼と聖餐(聖体)だけを聖書にもとづく聖礼典としている。聖体とは、パンとぶどう酒の中にキリストが臨在していると理解されている(キリストの象徴か、臨在か、の議論があるが)。また、統一教会の合同結婚式の聖水と聖酒式がこれに対応している。

 

(2)「悔悛と贖宥状」

 

カトリック教会の七つの秘蹟の一つである「悔悛」(悔い改め)は、ルターが攻撃した「贖宥状しょくゆうじょう」と深く関わりがある。その悔悛の教義とは、すなわち次のごとくである。

 

「悔い改めはカトリック教会においては教会の定めたもっとも重要な『礼典』(サクラメント)として説かれていた。そこには次の三つの概念によって組織化された制度がたてられている。まず、『痛悔つうかい』(コントリティオ)と呼ばれる、自分が犯した罪に対する心からの悔悟が求められ、第二に『告解』(コンフェシオ)という、罪を衆人の前に告白することが行われ、かかる告白した人に司祭が赦罪しゃざい宣言を下すわけであるが、第三には、犯した罪に対して具体的に賠償をすべく善きわざが求められる。それが十分なる賠償をしなければならないことから『償罪しょうざい』(サティスファクティオ)と呼ばれた。かかる犯した罪を償うわざとして巡礼をしたり、断食をしたり、寄付をしたりするさまざまな規定が定められていた。

この規定は教会が定めた刑罰であって、当時のカトリック教会は地上の生活のみならず、死後の煉獄れんごくに対しても有効な規定を定めたのであった。『贖宥状』というのは、そのような教会が定めたもろもろの罪に対する罰を教会がキリストと諸聖人によって蓄積された徳の宝によって赦免する免罪証書であった。この贖宥状をめぐってルターの宗教改革の運動が胎動し始めるのである」(『宗教改革の精神』、金子晴勇著、中公新書、77-78頁)。

 

教皇レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂の建築のための全贖宥を公示して、贖宥状購入者には全免償を与えることを布告したが、贖宥状問題の発生はアルブレヒト大司教がこのサン・ピエトロ大聖堂(聖ペテロ教会)を新築するためにドイツで贖宥状を発行し、その販売をドミニコ派の僧侶であるテッツェルにゆだねたことが契機となった。彼は巧みな弁舌で至るところで成功を収めていった。

 

ルターは、テッツェルが「そもそも、お金が箱の中でチャリンと音を立てさえすれば、たましいは煉獄れんごくほのおの中から(救われ)飛び出してくるのだ」、「教皇の紋印もんじるしで飾られた十字架はキリストの十字架と同じ価値がある」(『ルター』、松田智雄編、中央公論社、22頁)と言っているのを知った。

それで、この際、自分が今までに確信した所信を公開し、討論するために、ヴィッテンベルク城教会の扉に「九十五ヵ条の提題」を貼り出したのである。時に、ルター34才であった。

 

ところで、いうまでもなくローマの聖ペテロ教会を新築することは悪ではなく善いことである。そのためのお金集めにドイツで贖宥状を発行すること自体は悪ではない。問題の本質はお金ではなく、当時のカトリックの教義と世俗化したヒエラルキー(階級制)にあったのである。

 

ちなみに、教皇レオ三世は、紀元800年に、チャールズ大帝を祝福して、金の王冠をかぶせた。彼がキリストのみ言を信奉し、キリスト教理想を実現していたならば、この時代に「信仰基台」と「実体基台」が形成され、「再臨されるメシヤのための基台」も、成就されるはずであった。

統一原理は、「法王を中心として立てられた霊的な王国と、国王を中心とした実体的な王国とが一つとなり、その基台の上にイエスが再び来られて、メシヤ王国をつくることができたはずである」(『原理講論』475-476頁)と述べている。

しかし、国王が神のみ旨を信奉し得ず、「実体基台」を立てることができずに「再臨されるメシヤのための基台」を造成することができなかったのである。

 

このように見て来ると、カトリックの体制そのものが問題なのではなく、宗教改革時代において、この世の権力機関と変わらない法王を中心とした封建的な階級制度が信仰生活の自由を拘束していたことが問題になったのである。つまり、中世封建時代の社会環境は、人間の創造本性を復帰する道を遮っていたのである。それゆえ、宗教改革はメシヤが降臨するための内外の環境復帰のために起こるべくして起こったのである。

 

また、贖宥状とお金の関係について、「お金が箱の中でチャリンと音を立てさえすれば、たましいは煉獄の焔の中から(救われ)飛び出してくる」というが、「霊のからだ」(霊人体)と「肉のからだ」(肉身)の関係、あるいは「霊形体、生命体、生霊体(発光体)の関係」(霊の成長と復活に関する霊界と地上界の関係)について、カトリックの教義は統一原理の「復活論」で説かれているように明解ではない。したがって、救い(たましいの復活)と贖宥状に対して疑念が生じるのである。

 

それでは、次にルターの「九十五ヵ条の提題」に対する批判と反批判を考察していこう。

 

(四)「九十五ヵ条の提題」について

 

「九十五ヵ条の提題」について、まず、その核心部分とルターの言わんとする〝福音〟のなんたるかを明確にしなければならない。

 

(1)「贖宥状(功徳説)の否定と福音」

 

ルターの「九十五ヵ条の提題」の中心は、「悔悛」と「贖宥の効力について」の問題である。

 

ルターは、九十五ヵ条の第二十一条で、「教皇の贖宥によって、人間はすべての罰から放免され、救われると述べるあの贖宥説教者たちは誤っている」と断言する。

そして、ルターは贖宥と福音を対置し、第六十二条では「教会の真の宝は、神の栄光と恵みとのもっとも聖なる福音である」と言明する。

 

教会の宝とは、「一四世紀に教皇クレメンス六世が教書で述べたもので、教会にはキリストと聖者が残した功徳くどくが蓄積されて宝庫をなしており、教皇は適当な時機にそれを信者にわけ与えることができるという考えである。この思想は当時贖宥券販売の有力な理論的根拠の一つであった」(『ルター』、小牧治/泉谷周三郎・共著、清水書院、136頁)と言われている。

 

ルターはこの教皇の教書(功徳蓄積論)を否定し、「贖宥」は「福音」と比較できないほど価値の小さい慣行にすぎないと断言し、真の宝は「福音」であるというのである。

 

第六十八条でも、「それら〈贖宥〉は神の恵みと十字架の敬虔とに比較すると、実際もっとも小さいものである」(同、136頁)と述べている。

 

このように、ルターは教皇の権限と権威を否定し、贖宥は何の聖書的な根拠もないものであると断言するのである。

 

前後するが、ルターは、「人を義とするものは秘蹟ではなく信仰である」と言い、諸聖人の功徳説の根拠である教皇の教書は聖書の前にはまったく権威のないものであると言っている。

 

ルターが最も愛した聖書の一巻が「ガラテヤ書」であるが、その講義案で彼は次のごとく述べている。

 

「キリストの使徒パウロが神の律法やその行ないからとり去ったものを、悪魔の教えや、人間の状態や法則や、教皇の不信仰な伝承や修道士たちの行ないなどに帰することは、恐るべき瀆神とくしんであると、……使徒が言うとおり、神の律法の行ないによってだれ一人義とされないのだとすれば、ましてや、ベネディクト派やフランシスコ派などの会規によってはだれ一人義とされない。それらの規則の中には、キリストを信じる信仰については一音節たりともなく、ただ、『この会則を遵守するものは永遠の生命をもつ』と強調されているだけである。」(『ルター』、松田智雄編、中央公論社、「ガラテア書講義」より、480頁)

 

キリストを抜きにして、神や人間や罪について論ずることは出来ない、律法の行ないによってだれ一人義とされない、キリストを信じる信仰によって義とされるのであるという福音主義の原点をここにも見ることができるのである。

 

ルターは、さらに続けて次のように述べている。

「教皇派の人々における福音とキリストに対する忘恩と蔑視べっし……彼らは、キリストを否定し、キリストをけがして、福音の代わりにさまざまな規則や人間の伝承といった、いとうべきものを尊んで、神のみ言葉以上にとりあげた」(同、481頁)

 

「『いかなる肉も、律法の行ないによっては義とされない』というのは、中心となる結論である。これを幅広く適用し、生の全段階にあてはめてみるがよい。修道士は修道会の会規によっては、修道女は貞潔によっては、市民は正直によっては、君侯は仁慈によっては義とされないのである。」(同、481-482頁)

 

このように、キリストを対象としない教えや、人間のいろいろな業によっては救われないと述べている。そこには、人間に対する深い罪(原罪)認識があり、神と人とは罪によって断絶しており、人は自ら何もなしえない、救いはイエスをキリストとして信じる信仰による以外にないというルターの救済観、すなわち新しい義への転換が述べられているのである。

 

「九十五ヵ条の提題」の三十六条は、「真に悔い改めているならば、キリスト教信者は、完全に罰と罪から救われており、それは贖宥状なしに彼に与えられる」(同、23頁)と宣言している。

 

このように、ルターは「塔の体験」で得た救いへの確かな所信を「九十五ヵ条の提題」で忌憚なく述べたのである。

 

最後に、宗教改革の核心について、キリスト者が最も愛読しているルターの著『キリスト者の自由』の中からも引用してみよう。

 

「だから、司祭や僧侶そうりょのするように、身体が聖衣を着たところで、たましいには何の助けにもならない。また身体が教会や聖所にいても同様であり、聖物を扱っても同じである。また身体で祈り、断食だんじきし、巡礼し、さらに身体によって、また身体においてたえず行われるようなすべての善行をしても、やはり無益である。たましいに義と自由をもたらし与えるのは、それとまったく異なったものでなければならない。」(『ルター』、松田智雄編、中央公論社、「キリスト者の自由」、53-54頁)

 

さらに続けて、次のように述べている。

「きみが信仰においてすでに十分であり、神が信仰においてすべてをお与えになったのだから、きみにはよけいな宝と善行が、きみの身体を治め養うのに、いったい何の役に立つというのか。」(同、76頁)

 

以上が、信仰義認(新しい義の理解)とは何か、ということに対するルターの説明である。

上述のように、ルターは「信仰のみ」、「聖書のみ」を語り、一貫して福音主義の信仰を主張し続けたのである。

 

1517年10月31日、ルターはヴィッテンベルク城内の教会の扉に「九十五ヵ条の提題」を貼り付けたが、それはキリストの福音を純粋にとらえようとする公式的な討論の要請であった。ところが、当時のカトリック教会が社会秩序の基本構造に密接に関係していたことから、必然的に社会改革運動と結びつくことになったのである。

 

ちなみに、ルターの宗教改革の原点ともいうべき著作として、次の三つがある。

 

1)『ドイツのキリスト者貴族に与える書』-教皇庁の堕落と改革を説き、世俗権に優越する霊的権力(教皇権)を否定し、教皇にのみ保留されていた聖書解釈の権利は剥奪され、全信徒に与えられた。そして教皇のみが教会会議を招集しうるという主張を否定し、各信徒は自由な教会会議を招集する権利と義務があると主張した。

 

2)『教会のバビロン幽囚』―サクラメント(秘蹟)を攻撃し、二つの秘蹟、聖餐(聖体)と洗礼以外を排除した。バビロン幽囚の故事にちなみ、真の秘蹟がローマ教会によって奴隷にされていると比喩したもの。

 

3)『キリスト者の自由』―キリスト者とは何かを説く。「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない。キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する」と。教皇を頂点とするカトリックのヒエラルキーを否定し、全信徒が司祭であること主張した。

 

これら三つの著作以外に、ルター自身が最も重要だと言った『奴隷的意志』がある。これは、エラスムスの批判に対して反論(論駁)した労作である。

 

上述のすべての著作は、『ルター』(松田智雄編、中央公論社刊)に収められている。