当サイトで議題とする神学者とその理由などについて紹介しています。まず始めにお読みください。



シュヴァイツァー7 信仰義認論への挑戦(7)

「初期キリスト教の発展史」

イエスの死後、神の国は到来せず、終末論的待望の退潮によって、原始キリスト教の教えがいかに変貌し思想的に発展していくかについてシュヴァイツァーは次のように述べている。

「この書物のパウロの教えの叙述によって、私は自分のこれまでの神学的著作にもくろまれた企てをある意味で完結せしめている。すでに学生時代から、私は、初代のキリスト教の思想的発展を、私にとって異議をさしはさむことのできないように思われる前提―すなわちイエスの神の国の教説は全く終末論的なものであり、それを聴いた者たちもまたそのようなものとして理解したのであるという前提―からあきらかにしようという計画をいだいていた。聖餐の歴史的起源の問題、イエスのメシヤ性の秘密と受難の秘密、イエス伝研究およびパウロの教えの解釈の諸過程等についての私の研究は、ことごとく次の二つの問題―イエスの説教の終末論的解釈以外にそれと並んでなおなんらかの他の解釈が入りこむ余地があるかどうか、また、元来は徹頭徹尾終末論的であったクリスチャンの信仰が、ヘレニズム的思考法によってその終末論的思考法がとって代られるにおよんで、どのようになっていったかという問題―をめぐって展開されている。」(著作集10巻、『使徒パウロの神秘主義』(上)、14頁)

 

 シュヴァイツァーは初代のキリスト教の思想的発展に関して、「キリストにある」という「キリスト神秘主義」がキリスト教のヘレニズム化を可能にしたという。

「すなわち―なぜ、イグナティオスやその他の第二世紀の小アジアの神学の代表者たちは、すでに現存していた原始キリスト教の教えをそのまま採用することができなかったか、またどんなふうに彼らはそれをヘレニズム的な教えに考え改めているのであるか―という問いである。それに対する答えは非常に単純であって、彼らは、終末論的待望の退潮によって、全く自然に、その信仰を当時彼らに周知のヘレニズム的諸観念を用いて新しく理解し直そうとするに至った、ということである。このことが可能になったのは、彼らがパウロの『キリストにある』という神秘主義を熟知していたからである。彼らは、このパウロの神秘主義を、もはや彼らにとって理解できないそれの終末論的な論理に代うるにヘレニズム的な論理を以てすることによって、受けいれたのである。このようにして、イエスからパウロを経てイグナティオスにいたる展開がきわめて自然な仕方で説明される。パウロ自身はキリスト教をヘレニズム化した者ではなかった。しかし彼は、『キリストにある』というその終末論的神秘主義によって、キリスト教のヘレニズム化を可能とするような一つの表現様式をキリスト教に与えたのである。」(同上、『使徒パウロの神秘主義』、15~16頁)

 

*なぜ終末論的待望は退潮したのか。なぜイエスはすぐ来るといったのか。この問いに答えなければならない。「終末が幾度かあった」(『原理講論』147頁)。ノアのときも、イエスのときも、イエスの再臨のときも終末である。現代も終末である。イエスがすぐ来るといわれて二千年も経っている。再臨が何時なのか誰も分からない。シュヴァイツァーは文化哲学を説くがこれらについては明確に答えていない。

しかしシュヴァイツァーは次のように述べている点を忘れてはならない。

「近代のプロテスタント・キリスト教は、宗教的な必要からして、神の国とその到来に関する、イエスの告知の中に存在していた終末論的な見解を棄てて、自己流の見解を、あたかもそれが真のイエスの告知であるかのように、なしたのであった。」(著作集8、『終末論の変遷における神の国の理念』、331頁)と。

 現代神学は、終末論的な見解を捨てるだけでなく、再臨も語らない傾向性にある。

シュヴァイツァー6 信仰義認論への挑戦(6)

「終末論的視座からの解釈」

イエスは、後期ユダヤ教の世界終末の期待およびその後現わるべき超自然のメシヤ王国の期待という観念界の中に生きていたとシュヴァイツアーはいう。また、パウロも同じ終末論的世界観の中に生きていたという彼の終末論的視座からの解釈について次に見てみよう。

「パウロの思想圏研究史の結果、1911年に、私はつぎの結論に到達したのであった。すなわち、当時一般に見込ありと考えられていた、非ユダヤ教的な外見をもつ神秘的なパウロの救済教義をギリシャ思想に持って行こう、とする解決法は不可能である、ただ終末説よりする説明のみが可能である、」(選集2、『わが生活と思想』155頁)と。

このようにシュヴァイツァーは、従来の学説であるパウロの非ユダヤ的と見られる神秘主義を、ギリシャ思想からではなく、終末観の思想から解釈したものと捉え直すのである。

 

「ゆえに、『キリストに内在』し『キリストと共に死し共に復活する』という神秘主義の中には、世界終末を期待する緊張した感情があるわけである。メシヤの国ただちに出現すべし、という信仰より出発して、パウロは、―イエスの死と復活とともに、自然より超自然への転化がもはや真実に始まっている、―と確信した。ゆえに、この神秘思想には宇宙の変動ということがその前提となっている。

この『キリストと結合する』ということの意義、を体得することよりして、パウロの実践倫理は生ずる。」(著作集2、『わが生活と思想』、258頁)と。

 

笠井氏は、シュヴァイツァーの神学的視座について次のように述べている。

「シュヴァイツァーの研究は、のちのバルトのような、イエス・キリストを人間となった神として見、信仰的な基準ですべてを主張していこうとする神学とは方法がまったく異なる。この終末論的・歴史的方法においてシュヴァイツァーは、神学といえども徹底的に歴史的・学問的に誠実であり続けねばならないとしたハルナックやトレルチの自由主義神学の伝統を継承しているのである。」(『二十世紀神学の形成者たち』、笠井恵二、17頁)

 

*シュヴァイツアーの神学(歴史的・学問的に誠実な視座)の影響について

パネンベルクは「救済の出来事と歴史」(1959)と言う論文で次のように述べているといわれている。

「歴史はキリスト教神学の最も包括的な地平である。すべての神学的な問いと答えは、ただ歴史という枠の内部にあってはじめてその意味をもつ。神が人類とともに、また人類を通して自らの被造物全体と共有しているこの歴史は、将来へと向かっている。将来は世界に対してはまだ隠されているが、しかしイエス・キリストにおいてすでに啓示されている」。ここに綱領的な明瞭さで示されているように、パネンベルクは、一方では歴史を『実存の歴史性』へと解消するブルトマンやゴーガルテンに対して、他方では受肉を『原歴史』として解釈するバルトに対して真っ向から反対して、イエス・キリストの出来事の『歴史的な性格』を断固主張する。彼によれば、イエス・キリストにおける救済の出来事は、人類史のただ中において実際に生起したのである。したがって、神学は歴史的・批判的研究の及ばない非歴史的領域に逃避してはならない。『歴史としての啓示』を主張するパネンベルクは、ユダヤ黙示録文学の終末論とそこに成立する『普遍史』の観念の中に自らの拠り所を見だす。」(『キリスト論論争史』水垣渉・小高毅 日本キリスト教団出版局、525頁)

シュヴァイツァー5 信仰義認論への挑戦(5)

「医学研究1905~1912年」

シュヴァイツァーは、奉仕活動をするために医者となる決心をし、1905年10月、自分の教えていた大学の医学部の一学生として解剖学、生理学、化学、動物学などを学びはじめた。また他方では、神学部の講師と説教者としての役目を果たしつづけた。そしてその間に、1906年、長年の課題であった『イエス伝研究史』が完成した。

その研究結果について次のように述べている。

「私は『イエス伝研究史』の中で、イエスは、後期ユダヤ教の世界終末期待およびその後現わるべき超自然のメシヤ王国の期待という観念界の中に生きていた、ことを証明したこの観念は、今日の我々から見れば妄想的な感がある。」(著作集2、『わが生活と思想』、136頁)と。

「妄想的な感がある」というのは、実際には、超自然のメシヤ王国は実現せず、終末は延長されて来たからであろう。

『イエス伝』の研究が終わったのでシュヴァイツァーは、自然科学の勉強に没頭した。従って、科学的思考法が彼の神学に反映していることは言うまでもないことである。

 

*無形なる神を実証するために、文鮮明師は電子工学を学ばれ、宇宙を創造した「神様は科学者である」と言われ、「ペア・システムを中心とした万物は、理想的な愛を訪ねていくことができる人間の教材です。」「宇宙の根本は愛である」「神様の宇宙創造の動機は愛」(『天聖経』宇宙の根本)であると言われた。

バルトは一切の人間学的要素を排除したが、ティリッヒは「科学と心理学と歴史学は神学の味方である」と言った。

 

「アフリカで医療活動」

シュヴァイツアーは、6年間の勉強の後、新婚の妻とともに1913年当時フランス領であったアフリカのランバレネで黒人達の医療にあたり、第一次世界大戦、フランスの植民地に住むドイツ人として捕虜、帰郷、第2次アフリカ事業(1924~1927年)、帰国、1929年12月第3次アフリカ事業、第二次世界大戦、とこの激動の時代を生き抜き、90才で世を去るまでこの困難をきわめた医療活動を放棄することはなかった。また同時に時間のあるときは「文化と倫理」を省察した。

 

(二)「初期キリスト教の発展史」(科学的な歴史研究)

「シュヴァイツァーの神学姿勢」

シュヴァイツァーは『イエス伝研究史』を完了して後、「パウロの教義」の研究に移った。その時の心境について次のように語っている。

「パウロの教義を研究するにあたっても、聖餐およびイエス伝の研究の場合と同じ方法をとったのであった。つねに私は、単に得た解決を叙述する、に満足しなかった。さらにそれ以上に、問題の歴史を書く、という仕事をみずからに課したのであった。」(著作集2、『わが生活と思想』、147頁)

このように、シュヴァイツアーは既存の学説を徹底的に歴史的に研究して既存神学の教義に追従しない気骨ある心情を吐露している。

 

「イエスとパウロの研究は対」

また第一次世界大戦の勃発が契機となって「文化哲学」を考究するようになるが、『イエス伝研究史』と対である「使徒パウロの神秘主義」の研究があるが、それについて次のように述べている。

「医学研究も終わりにちかづいて、神学研究に当てる暇ができたときには、パウロの思想圏にかんする科学的研究の歴史を、『イエス伝研究史』と対になるものとして、また、《パウロの教義》解の緒論としても、つくる必要にせまられていた。そしてわたしは、イエスおよびパウロの教えをあらたに解釈した立場から、聖餐と洗礼との発生史、および、その初期キリスト教時代における発展史に最後的な形をあたえるのには、1年ないし2年と予定されていたアフリカでの活動が終わったあとの、休息の期間をあてようと考えた。しかし、この計画は第一次大戦のため、だいなしにされた。わたしが要約のことでヨーロッパに帰ったのは、2年どころか4年半のちのことであり、その上、わたしは病気で、生活の手段さえ奪われていたのであった。しかもそのあいだに―またもやあらたに間奏曲! ―わたしは文化哲学にかんする仕事にはいりこんでいた! こうして、『初期キリスト教時代における聖餐および洗礼の歴史』は講義用の草案のままで終わったのであった。・・・・これの根本思想は、『パウロの神秘主義』についての著作のなかで述べておいた。」(選集2、『わが生活と思想』、40頁)

 

*文鮮明師も「歴史は科学の時代に来ています。」(『天聖経』分冊『真の神様』92頁)と言われている。

シュヴァイツァー4 信仰義認論への挑戦(4)

 

「キリスト神秘主義」(パウロのイエス理解について)

笠井恵二氏は「キリスト神秘主義」について次のように述べている。

「シュヴァイツァーはパウロの思想を『信仰義認』ということにおいてではなく、『キリスト神秘主義』という視点から解明していく。それは『イエス神秘主義』がさらに深められた境地である。パウロはイエスを主体的に主なるキリストとして受けとめ、このキリストと神秘的に合一する体験こそイエスを真に理解することだと考えた。シュヴァイツァーはこのパウロを、イエスを最も正しく理解した人物として、イエスを受容するための最良の導き手としたのである。シュヴァイツァーによれば、イエスの教えとパウロの思想とは、時代史的な相違をこえて最終的には同一のものなのである。そしてある意味で、この『キリスト神秘主義』こそシュヴァイツァーの復活理解であり、ここに彼はキリスト教の中核をみているということもできよう。」(『二十世紀神学の形成者たち』笠井恵二、19頁)

 

 このようにシュヴァイツァーは十字架の死と復活について伝統的な神学的解釈である「信仰義認」を根源的に批判し、独創的な「キリスト神秘主義」を主張し、さらに第一次世界大戦を契機として考究しはじめた「文化哲学」において、「思索を根拠」とし、「信仰に基礎」をおく近代ヨーロッパ思想を次のごとく批判した。

「世界・人生肯定の近代思想が、本来の倫理的性質を失って非倫理的なものになったのは、どうしたわけなのであろうか?これに対する唯一の説明は、の世界観は真の基礎を思索のうちにおかなかった、というにある。その母体である思索は高貴でもあり、情熱にも満ちてはいたが、しかし、深みがなかったのである。倫理性と、世界・人生肯定との関連を、実証したというよりむしろ、感得し、体験したのである。世界・人生肯定と倫理とに帰依しはしたものの、それらの真の本質と相互の内的関係とをきわめようとはしなかったのである。この高貴で、価値ある世界観は、事物の本質をめざす思索にというより信仰に根ざしたものであるから、時を経るにつれてしぼみ始めて、精神を支配する力を失ってしまった。」(選集2、『わが生活と思想』、165頁)。

 

 このように信仰に基礎を置くプロテスタント神学の伝統的解釈(「信仰義認論」)の弱点を厳しく批判するシュヴァイツァーの新しい神学思想は、20世紀の新約学に多大な影響を与えたのである。

 ティリッヒはバルトらの福音主義神学に対し「神を超自然の領域に幽閉している神学」「認識の基礎に信仰をおく不合理な信仰主義」と批判している。

また「世界・人生肯定と倫理」、そしてその「真の本質と相互の内的関係」とは何かに関して「生命への畏敬」を根源とする「文化哲学」を説いているが、文鮮明師の「原理本体論」のような根源的原理を解明し得なかった。それは再臨のメシヤでないので、いた仕方がないことであると言えよう。

 

*神様の「真の愛」の倫理として、統一原理の「原理本体論」は「四位基台の完成」(四大心情圏と三大王権)として根源的原理(神の本体=真の愛)を解明している。

 

1899年、彼の哲学の学位論文は「《純粋理性批判》より〈理性の限界内における宗教〉に至るまでのカントの宗教哲学」であった。学位を取得して以後、彼は哲学科への道でなく、神学科への道を選んだ。この年の暮れ(1899年12月)、旧シュトラースブルクの聖ニコライ教会で説教者の職を得た。シュヴァイツァーは副牧師として説教者の仕事に従事するかたわら、大学において「イエス伝研究」に、再びとりかかった。シュトラースブルク大学の図書館は、イエス伝関係の文献をほとんどそろえていたのである。

 

*バルトもカントを研究したが、自然神学を反キリストであると批判した。しかしシュヴァイツァーは「生命への畏敬」を主張して万物を包含する自然神学の立場に立ち、いち早く環境破壊を警告した。バルトは「シュヴァイツァーの見解において窮極的に危くなっていたのは、キリスト論である。」(『バルト初期神学の展開』T・F・トーランス、新教出版社、108頁)と反論したが、「生命への畏敬」の世界観による環境破壊への警告には同調せざるを得なかった。

シュヴァイツァー3 信仰義認論への挑戦(3)

「『キリスト神秘主義』と『思索』」(信仰義認論に対する根源的な批判)

この聖餐問題(パンとぶどう酒)が端緒となって、彼の著『イエス伝研究史』(1906年)に見られるように、18世紀から19世紀にあらわれた近代自由主義神学の『イエス伝』を研究して批判し、さらに『使徒パウロの神秘主義』(1930年)において、「パウロの教義」(「信仰義認論」)を「キリストとの合一」による「キリスト神秘主義」であるという。この新解釈は正統主義神学(福音主義)に対する根源的な批判である。

「数世紀にわたってパウロの宗教の中核と考えられていた、『信仰によって義とせらる』の教えも、実は、原始キリスト教のイエスの贖罪死についての教義を、『キリストとの結合』なる神秘主義の立場から解釈したものにほかならない。」(著作集2、『わが生活と思想』白水社、260頁)と。

 

シュヴァイツアーは「十字架の贖罪」の意義に関して従来の教説を次のごとく批判する。

「イエスは実際、公的活動全体を通じて、神の国は、罪の赦しとして、あるいは倫理的自己完結的共同体として、すでに存在していることを〔はじめから〕前提しているのであるから、イエスの犠牲によって、べつにまったく新しいものがもたらされるわけではないということになる。したがって神の国はそもそもイエスが登場したそのときからすでに存在する、とせられる。しかし、いやしくも贖罪が果たされた以上は、贖罪の死の効果の意義ともいうべきものが要求せられるのである。古代の教義学に対する近代的教義学の弱点もまたこの点に存する。・・・近代的教義学はこの存在の周辺に言葉をならべたてはする。しかしなに一つはっきりとさししめすことはできず、むしろ自分でこしらえた曖昧模糊とした仮説の雲にくるまっているのである。」(著作集8、『イエス小伝』、126頁)。

このように贖罪死の意義についていろいろ論ずるが、いずれも曖昧模糊であり、近代的教義学の弱点もまたこの点に存するというのである。

イエスがメシヤとして降臨した目的は、神の国の実現である。しかし「イエスの犠牲によって、べつにまったく新しいものがもたらされるわけではない」というのである。「神の国はそもそもイエスが登場したそのときからすでに存在する」。それなのに、「なぜイエスは十字架で死んだのか」と問題を提起しているのである。十字架の予定説への批判である。

 

*シュヴァイツアーが指摘した「十字架の贖罪による救いの摂理」に関する真の意義は、文鮮明先生の神学思想である統一原理(第四章メシヤの降臨とその再臨の目的)によって解明されている。

シュヴァイツァー2 信仰義認論への挑戦(2)

シュヴァイツァーは「初期キリスト教の会食礼は、イエスの贖罪死を聖礼としてくりかえしたり、象徴的に具象化したりすることは、まったく別個のものであった。イエスが使徒たちとともにした最後の晩餐を繰りかえすことがこのような意義をあたえたのは、後年になってのことで、カトリックのミサ聖祭と、罪のゆるしの具象化を目的とするプロテスタントの聖餐礼とにおいてである。」(選集2、『わが生活と思想』、41頁)と批判する。

結論として「イエスと使徒たちとにとっての、あの晩餐の意義は、やがて来たるべき神の国において現われるはずの、メシヤの晩餐への待望と関連していたのではあるまいか、という疑問を追究するにいたった」(選集2、『わが生活と思想』、21頁)と述べている。

このようにして、シュヴァイツァーは最後の晩餐の解釈問題が発端となって、この問題はさらに「福音書」と『イエス伝』の問題に立ち戻って考察する必要があると考えるに至ったのである。これが20世紀の神学に大きな影響を与えたシュヴァイツァーの神学研究の動機である。『イエス伝』については『イエス伝研究史』、福音書の研究については『イエス小伝』がある。

 

*聖餐(式)とは、イエス・キリストの最後の晩餐に由来するキリスト教の儀式である。カトリック教会では「聖体拝領」、「聖体の秘跡」と呼ばれ、プロテスタント教会では「聖餐式」と呼ばれている。ただし「主の晩餐」に関しては、いずれの教派においても使われている。

共観福音書によればイエスはパンを取り、「これはわたしのからだである」といい、ワインの入った杯をとり「これがわたしの血である」と言って弟子たちに与えた。この儀式は初期から教団内で行われてきた。キリスト教徒はこの儀式を行うことで、そこにキリストが現存するという信仰を保持してきた。しかし、今日においては、宗派によってやり方や考え方は異なっている。

カトリックは聖餐をサクラメント(秘跡)として行ってきたが、宗教改革以降のプロテスタント教会は秘跡と呼ばず、礼典と言っている。それは神様の救済は「人間の行いによるのではなく、信仰のみによる」(信仰義認)という考え方から、聖餐の執行そのものを救いの要件として考えないためである。ただし、聖餐に何らかの意味を持たせるか、単に象徴的な儀式と考えるかは、プロテスタントの教派によって異なる。その多くは聖餐において神の恵みが人間に伝えられるのではなく、共同体の信仰を示すための儀式であるというのである。

*「聖餐式の意義」

このように、時代や教派によってその捉え方に違いがあったとしても、キリスト教の中で聖餐は常に礼拝儀式の核となるものである。伝統的なカトリックにおいて、聖餐の式は神が計画する人間の罪からの救いの成就となる式であり、イエスの死と復活を思い、そこにイエスの現存を信じるもの、さらには信仰者と神、信仰者同士の絆を確認するものであった。このような中心思想はほとんどの宗派によって共通であるが、先に述べたようにその程度や捉え方によって違いが生じているのである。

例えば、カトリック教会と正教会では伝統的に聖体のサクラメントを七つある秘跡・機密の一つとし、「聖変化」という思想を尊重してきた。聖変化とはパンとワインがミサの中で実際にキリストの体と血に変わるという教義である。それに対して宗教改革期以降、プロテスタント教会ではパンとワインが実際にキリストの体と血に変わることはなく、単なる象徴的な儀式に過ぎないとみなすようになったのである。

*「統一教会の聖酒式」

キリスト教の聖餐式と統一教会の聖酒式との関連およびその意義について、文鮮明師は次のように説明している。

「聖酒式は、イエス様を中心として見ると聖餐式と同じです。聖餐式では、肉と血の代わりにパンを食べ、ぶどう酒を飲みます。これは、私たち人間が堕落したため、イエス様の体を受けることによって、新しい肉体を受肉しなければならないということを意味します。」(『祝福家庭と理想天国』(Ⅰ)、912頁)

このように聖酒式は聖餐式と同じです。「イエス様の体を受けることによって、新しい肉体を受肉しなければならない」と語っておられるので、単なる信仰を示す儀式ではないのである。

次の御言は原罪との関連から、さらに詳細に聖酒式について説明され、「新しい肉体に生まれ変わる式(重生)であると語っておられます。

「聖酒式は何をするものでしょうか。新しい愛を中心として神様の体を自分の体の中に投入させる儀式です。・・・・イエス様が『パンは私の体を象徴するものであり、ぶどう酒は私の血を象徴するものなので、あなた方はそれをもらって食べ、飲まなければならない』と語ったのと同じように、愛を中心として、神様の実体を中心として、新しい血統を受け継いで原罪を洗い清めることができる式です。」(『天聖経』分冊『祝福家庭』74頁)

「堕落によって汚された血統を継承したので、それを転換しなければなりません。これをしなければ原罪を脱げず、原罪を脱がなければ真の子女として祝福を受けられる段階に上がることができません。原理がそのようになっています。堕落によって生じた原罪を脱ぐ血統転換、すなわち血肉を交換する式が聖酒式です。(『祝福家庭と理想天国』(Ⅰ)906~907頁)

「聖酒式は、堕落によって血統的に汚されたサタンの血を抜いてしまうものです。言い換えれば、原罪を抜いてしまう式だというのです。」(同上、907頁)

このようにイエス様が語られた聖餐式の意味は、むしろ文鮮明師の血統から見た原罪論と聖酒式の御言によって明解になると言えるでしょう。

また、文鮮明師は祝福運動について、次のように語っておられる。

「私が主導してきた祝福運動は、単なる結婚儀式ではなく、原罪を清算し、本然の真の血統によって天に接ぎ木する神聖な行事なのです。」(『平和神経』351頁)

このように祝福結婚(聖酒式)は、単なる「統一教会に入籍する式」ではありません。「共同体への信仰を示す儀式」という見解は誤りではないが、野生のオリーブの木から真のオリーブの木に接ぎ木する血統転換という本質面を見ていないといえるでしょう。

以上がキリスト教の聖餐式と統一教会の聖酒式との関連性についての原理的見解である。また聖酒式には原罪清算する以外に文先生の勝利を相続する式や罪に対する恩赦などの意味があります。これが聖酒式が何度もある理由です。

シュヴァイツァー1 信仰義認論への挑戦(1)

※Albert Schweitzer(1875~1965)、プロテスタントの神学者、哲学者、音楽家、医者。黒人の医療に生涯をささげ、ノーベル平和賞をうける。彼の神学は独創的で新約学に多大な影響を与えた。

 

アルベルト・シュヴァイツァーは1875年1月14日、当時のドイツ領(現フランス領)上エルザス州のカイザースブルクに牧師の子として生まれた。父は5才のとき、ピアノを弾くことを教えはじめ、8才の時からパイプオルガンを習わせた。彼は両親の慈愛のもとで、幸せな幼年時代をすごした。しかし不幸な人の姿を見たとき、自分だけが幸福であることに疑問を感じていた。

21才(聖霊降誕祭)のとき、「私は、30歳までは、学問と芸術のために生きよう。それからは、直接、人類に奉仕する道を進もう」と決意する。実際シュヴァイツァーは、イエスに倣い、30歳まで自己形成して、それ以後、人類への奉仕活動に専念しながら、同時に人類を救済する神学を考究していくのである。

 

「聖餐問題」

彼は1893年シュトラースブルク大学に入学する。そこで神学科と哲学科を同時に聴講した。1897年には最初の神学試験を受け、次のように述べている。

「1897年夏の末、私は最初の神学試験に申し出た。いわゆる「テーゼ」として課せられたのは「新約聖書および宗教改革の告白文献の解釈と比較したる、シュライエルマッヘルの最後聖餐説」というのであった。この命題はすべての受験者に課せられ、八週間のうちに作成さるべきもので、その結果によって本試験受験資格が決まるのであった。この課題によって、私はふたたび、福音書とイエス伝の問題に立ちもどらざるを得なかった。この試験問題によって課された、あらゆる歴史的および教義的の最後聖餐解釈の研究の結果、私には痛感させられた」という。どういうことを痛感したのかということに関して次のように述べている。

「―まこと、イエスがその使徒と共にせる晩餐の意義と、原始キリスト教の晩餐礼の起原、についての普通の説明は不十分きわまるものである。」(著作集2、「わが生活と思想」、白水社、25頁)と既存神学の解釈に対する疑念を吐露しているのである。

 

そして「マタイ伝およびマルコ伝の聖餐についての記述にしたがえば、イエスは使徒に、晩餐をくりかえせとは要求していない。それゆえこの儀礼が原始キリスト教団体でくりかえされたのは、使徒たちに由来するもので、イエスに由来するものではない。」(選集2、「わが生活と思想」、21~22頁)と言うに至り、聖餐問題について「古代キリスト教の儀式である、とする説はまったくなりたたない」(同上、41頁)と断言するのである。

 

序2 プロテスタント(新教)とカトリック(旧教)を統一する統一原理

「百家争鳴」

ところで、今日のプロテスタント神学は、聖書に対する解釈の公式的基準がなく、個人主義、主観主義に立ち、百家争鳴の観がある。その流れを大観すれば、根本主義から自由主義、そして新自由主義から新正統主義へと流れ、あるいは一時の逆流、または並存を保ちながら、現代神学に至り、ある者は「神の死」を宣言し、過去の一切の神学思想はその全体が輝きを失って、セキュラリズム(secularism, 世俗主義)に飲み込まれつつあるというのが現状である。

周知のとおり、神認識に対して、大別して二つの観点がある。一つは「人間の側から」、理性による哲学的人間学などによって神を追求する立場であり、他方は「神の側から」、一方的な上からの啓示(恩恵)を主張し、人間的要素や努力(「行い」)などの一切を否定し、神認識は「キリストに対する信仰から」という立場である。

前者には自由主義神学などがあり、後者はルターの宗教改革的信仰の立場であり福音主義と呼ばれているのがそれである。また、前者は自然神学を肯定し、理性で合理的に聖書を解釈しようとする。後者は自然神学を否定し、理性よりも信仰を根拠とする。もちろん双方の折衷主義もある。

これに対して、これらプロテスタント神学の流れと異なるカトリックの正統主義は、人間の側と神の側(啓示)の双方を認める立場であり、その際、人間理性による哲学を否定せず、人間の努力や業を肯定する(功徳思想)。救いは「神の愛と人間の道徳的努力による」(共働説、神人協力説)という立場である。そしてプロテスタントのごとく、自分は救われたと勝手に「思い込むこと」ではないとプロテスタントの信仰を批判する。

もちろん福音主義の中のカール・バルトは反論し、トマス・アクィナスらの自然神学(理性を肯定し、被造物を通して神を知り得る―存在の類比)を否定する。何故なら、神と罪人との交わりがどうして可能であるかと問い、それは不可能であるといい、神と人との絶対的、質的断絶を主張するからである。

すなわち、人間も万物も罪の支配の下にあり、それ故に被造物を探求しても神を知りえないというのである。したがって、神がイエス・キリストを降臨させて自己を啓示し、そのイエス・キリストによってのみ人間は神を知り得るというのである。

その神学は、アリストテレスやプラトンらの哲学の影響による神認識など、キリストを抜きにした人間の側からの一切の探求を否定して、神を知り得るのは神の側、啓示以外にないというのである。

自然神学を肯定するか否定するかの問題は、いまだに決着を見ていない。だが、キリストの理性、完成したアダムの理性による自然神学は肯定せざるを得ない。

また、20世紀の初頭、根本主義と自由主義(近代主義)との間に神学論争がなされた。それは、処女降誕、キリストの体のよみがえり、血による贖い、聖書の無謬性などである。

それで、一般的に自由主義は非合理な「原罪」を否定し、科学的方法論できれいに処理できる信仰を求め、啓示性を否定し、聖書は無謬でないという。そして、人間の問題に対して楽観的で、教育ですべて解決できると見ていたのである。だが、それは間違いであることに気づき、新自由主義は自然神学を手放さないが、啓示神学に耳を傾けようとする姿勢をもつ。

なぜなら、教育や環境の改革だけでは現実を変えることができず、人間の苦悩を現実に則して分析するとき、正統主義の罪に対する考え方が、自由主義の楽観的な見方より現実的であると考えざるを得なかったからである。

しかし、カール・バルトに見られる福音主義、すなわち新正統主義(正統主義の再発見)は、新自由主義の自然神学を徹底的に打ちのめそうとする。福音主義神学とは、ルターに起原をもち、バルトによってよみがえった神学(バルト神学)のことである。

その教説の核心は、アダムの罪(原罪)を背負った本質構造を失った人間(神の像を喪失した人間)は、神を知り得ず、自分で自分を救うことができない存在であるというのである。もし神が何もしなければ、罪と死の支配の下で、人間は地獄において永遠の刑罰を受ける悲惨な運命のまま存在しつづける以外にないという。それゆえ、罪と死からの解放、すなわち救い(神認識)は、人間自身の側ではなく、神の側である上からの一方的な恵み(啓示)以外にないというのである。

人間の5%の責任分担による努力を一切認めない点は問題があるが、霊的救いという観点から見れば、それは一理あるといえよう。

以上のようなプロテスタント神学の信仰義認論に対する救いの教義に対して、カトリックは、福音主義の理論は「仮面を剥げば結局主観主義の粗野な哲学にすぎない」(岩下壮一著『カトリックの信仰』講談社学術文庫、645ページ)と鋭く批判する。

さらに恩寵と自然、信仰と理性、あるいは人間の努力について次のごとく反論する。

「世の聖書主義を高調する者の中に往々人間理智のあらゆる努力を冒瀆視して、カトリックの信条あるいは神学を異教的膠合(こうごう)説として排斥する者あるを見る。彼等にして徹底的に恩寵と自然とを隔離し、神の智と人間の智とを没交渉にし、天啓と理性とを分離せんと欲せば……」(同、105ページ)と、福音主義の一面性の偏向を指摘する。

以上のように、カトリックとプロテスタントの諸神学を統一することは不可能に近いように思われる。だが、神の力と能力は不可能を可能にする。なぜなら、真理は一つ、信仰も一つであるからである。

したがって、われわれは遠からず神の前に人類は一つになり、統一家族になるという希望を決して捨てないのである。

 

「8つの分野のチャンピオン」

文鮮明師は8つの分野のチャンピンである。

1番目、レバレンド・ムーンは、神様を最もよく知るチャンピオンである。

2番目、レバレンド・ムーンは、サタンを最もよく知るチャンピオンである。

3番目、レバレンド・ムーンは、人間を最もよく知るチャンピオンである。

4番目、レバレンド・ムーンは、霊界を最もよく知るチャンピオンである。

5番目、レバレンド・ムーンは、イエス様を最もよく知るチャンピオンである。

6番目、レバレンド・ムーンは、聖書および各宗教の経書の核心内容を最もよく知るチャンピオンである。

7番目、レバレンド・ムーンは、人類歴史を最もよく知るチャンピオンである。

8番目、レバレンド・ムーンは、真の家庭の価値のチャンピオンである。

―『平和神経』平和メッセージ13から

 

3.「再臨のメシヤの思想」による世界平和の実現に向かって

私は、「再臨のメシヤの思想」(統一原理=原理本体論、統一思想)によって、宗教統一、思想統一がなされ、民主主義諸国と共産主義諸国が和解し、世界平和が実現すると確信してやまない。

 

「統一」という言葉について

ここで、指摘しておくべき点は、宗教統一、思想統一という場合、「統一」という言葉に恐れをなす学識者(知識人)がいる点についてである。

統一教会が「統一」を掲げるのは、それを相対的な立場でなく、絶対的な真理による一元化を目指していると見るからである。それは、強制的、全体主義的になされるものではない。

文鮮明師は「統一」という言葉は「神の愛を中心」として、はじめて「統一」する、といえる言葉であると語っておられる。この言葉で、学識者の懸念は一掃されると信じる。

序1 「現代神学思想の概観」 ――再臨のメシヤの思想圏

「洗礼ヨハネ的使命をもった神学」

20世紀前半の激闘期にキリスト教を導いたプロテスタントの神学者として、アルベルト・シュヴァイツァー(1875年~1965年)「生命への畏敬」、エミール・ブルンナー(1889年~1966年)「出会いの神学」、パウル・ティリッヒ(1886年~1965年)「弁証神学」、ルドルフ・カール・ブルトマン(1884年~1976年)「非神話化」(実存論的解釈)、カール・バルト(1886年~1968年)「神の言葉の神学」(キリスト論的集中)、ディートリッヒ・ボンヘッファー(1906年~1945年)「成人した世界」(聖書の諸概念の非宗教的解釈)らの、まず6人を挙げることができる。

その他、重要な組織神学者として、ニーバー兄弟(ラインホルド・ニーバー、リチャード・ニーバー)、ヴォルフハルト・パネンベルク、ユルゲン・モルトマンといった人たちがいる。

これらの神学者に導かれて、今日のプロテスタント・キリスト教が存在する。

彼らの言葉は、決して古いものではなく、現代に生きるわれわれに対しても、なお力を持つ。それらの神学は、メシヤが来る前に「民を主に備える」(ルカ1章17節)ために洗礼ヨハネがエリヤの使命を持って出現したごとく、躓きとなる既存の信仰観にもとづく聖書理解や、既成の観念や概念を打破するために出現したのである。

そして、聖書の使信(ケリュグマ、宣教の言葉)に対する統一的で全体的な新しい解釈(統一原理)を現代人に受容可能なものとするために、全き真理(Ⅰコリント13章10節)の一端に光を照らすためであった。

すなわち、死せるキリスト教を新しく活性化させ、人々の心を神に向けさせるために、それらの神学は現代人の理性の批判に耐えうるものであり、人間の理性を納得せしめるものであるというのである。現代の科学万能主義の時代に、いわば、歴史の転換点に転轍機(てんてつき)として必然的に出現する運命にある神学であったといえよう。

ただし、バルトは神認識において信仰を強調し、理性による神認識に批判的であるが、そのバルトを中心に、バルト対ブルンナー、バルト対ブルトマンといわれるがごとく、各々が鋭く対立し論駁しあったが、全体的、統一的に捉えるなら、それぞれの神学が、真理の実体であるメシヤ(キリスト)に集中し、真理の全体像に対して、いろいろな角度から、その部分を照らす役割分担を担っていたことが分かるのである。

もし、これらの神学者が現れなければ、全き真理がきても、既成の信仰観が妨げとなって、全きものと見なされず、真理の言葉が受容されないかもしれないのである。

しかし、信徒たちがこれらの神学を知ることによって、全きもの(再臨のメシヤ)が証しされ、その言葉が絶対的真理であることを、あらゆる角度から論証されるに至るのである。

 

「誤った偶像」

既存の教義や信仰観に対する考え方は、全き真理ではなく、部分的真理であって、それらを盲信するなら「誤った偶像」となるものである。したがって、それらは、過去のある時代において、必要不可欠な摂理的使命をもった、いわば、時代的に制約された神学思想であると言えるのである(Ⅰコリント13章9~10節)。

それゆえ、時代が移り変わり、再臨の時が満ちたならば、既存の教義や信仰観は、その時代的使命を終え、自然に消滅していくものである。

しかし、旧約の律法が、イエス(全き真理)に対してそうであったごとく、既存の教義は、再臨する「全き真理」に対して反対することも危惧される。メシヤは、律法の否定者(破壊者)ではなく完成者であったが、確かにキリストは状況に応じて、当時のユダヤ教指導者から排斥されたのも事実であった。

「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである」(マタイ5章17~18節)とイエスが語られたごとく、同じ律法と福音の完成者として来られた再臨のメシヤの思想も同じである。

 

「結論」

以上のごとく、「民を主に備える」ために、先に上げた20世紀の神学者たちが洗礼ヨハネ的使命をもって歴史上に出現し、既存の考え方に対して新しい観点や方法で論戦を挑んだのである。否、神によって必然的に押し出され、挑まされたというべきか。全能なる神は、反対者をも摂理の中に包含されて、歴史の目的を成就されるというのである。

神の霊に導かれた彼らの言葉は、既存の古いキリスト教的信仰観を破壊するに十分で、衝撃的で、大胆である。たとえ、それが全き真理に対して「群盲象を評する」部分的なものであったとしても、そうである。

結論として、「全き真理」(再臨のメシヤの思想=統一原理)は、洗礼ヨハネ的使命をもった神学を包含し、古い教えを否定するのではなく、その意図する目的を成就する。